の仙人にとっては「時」の観念に相当するものはただ一つの輪のようなものであって、振動を数える数は一でも二でも一万でもことごとく異語同義《シノニム》に過ぎまい。よしやそれほど簡単な場合でなくとも、有限な個体の間に有限な関係があるだけの宇宙ならば、万象はいつかは昔時の状態そのままに復帰して、少なくも吾人のいわゆる物理的世界が若返る事は可能である。このような世界の「時」では、未来の果ては過去につながってしまうかもしれぬ。
 吾人の宇宙を不可逆と感じる事は、「時」を不可逆と感ずる事である。全エントロピーは時と共に増すとも減ずる事はないというのが事実であるとすれば、逆にエントロピーをもって「時」を代表させる事はできないであろうか。普通の「時」とエントロピーとの歩調がいかに一様でないとしても、そこに一つの新しい「時」の観念が成立しうるのではあるまいか。
 エントロピーの概念自身には「時」が含まれなくてもよい。これが時と関連して来るのは自然の経験の結果である。われわれの普通日常用いる時計の針の回る角度がたまたま時の代用となるのもやはり自然の経験にほかならぬ。少なくともこの点においては時計の「時」とエン
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