またおのずからちがったことであろう。批判はやはり「履歴の函数《かんすう》」である。
 こんなことを思い出しながら俳優I氏の鼻や耳をながめていた。そうしてたとえば日本の学者や芸術家が一般にこのI氏の半分ののんびりした心持ちと日本人としての誇りとをもつ事ができたらどんなにいいだろうというような気がした。もちろん気がしただけである。
 蒸すように暑い部屋《へや》の天井には電扇がゆるやかに眠そうに回っていた。窓越しに見えるエスカレーターには、下から下からといろいろの人形《じんけい》がせり上がっては天井のほうに消えて行った。ところてんを突くように人の行列が押し送られて行った。
 気のついた時はもうI氏はいなかった。
 政党大臣や大学教授や官展無審査員ならば、ところてんのようにお代わりはいつでもできる。しかしI氏くらいの一流の俳優はそう容易には補充できない。
 そんな事を考えながら、自分もエスカレーターに乗ってM百貨店の出口に突き出されたのであった。
[#地から3字上げ](昭和八年九月、改造)



底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年5月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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