持ちがするのであった。
 これに似た他の場合を思い出す。
 半年ほど下駄《げた》というものをはかないでいる。そうして久しぶりに下駄をはいて四五町も歩くと、足一面が妙にひきつれたようになって歩けなくなる。おしまいには腰のへんまでひきつってしまう。それが、足袋《たび》をはいてだと、それほどでもないが、素足のままだと特別にひどいようである。
 はき物でさえ、そうしてはき物の大きさや素材のこんな些細《ささい》な変化でさえ、新しいものに適応するということの難儀さかげんがこれほどまでに感じられるのである。過去の世界で育ち過去の思想で固まった年寄りの自分らが、新しい世界を歩き、新しい思想に慣れるまでの難儀さ迷惑さはどのくらい大きいものか、若い人には想像するさえむつかしいであろうと思われる。

     二 草市

 七月十三日の夕方哲学者のA君と二人で、京橋《きょうばし》ぎわのあるビルディングの屋上で、品川沖《しながわおき》から運ばれて来るさわやかな涼風の流れに※[#「口+僉」、第4水準2−4−39]※[#「口+禺」、第3水準1−15−9]《けんぐ》しながら眼下に見通される銀座通《ぎんざどお》りのは
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