三原山生活は学問的にもおもしろかったがまた同時に多分の美しい詩で飾られていたようである。しかも、自分の場合にはそれらの詩がみんな自分の肉体の生理的機能となんらかの密接な関係をもっていたような気がする。

       三

 どうも自分の詩の世界は自分のからだの生理的機能と密接にからみ合っていて直接な感官の刺激によってのみ活動しているのではないかという気がするのである。これはあまり自慢にならない話のようである。しかし詩人の中にもいろいろの種類があって、抽象的精神的な要素の多い詩を作る人がある一方ではまた具象的官能的な要素に富んだ詩に長じた人もあるようである。自分の見るところでは、俳人|芭蕉《ばしょう》などはどちらかと言えば後者に属するのではないかという気がする。もしそうだとすると、官能的であるということ自身がそれほどいけない事でもなさそうである。
 科学的にもやはり抽象型と具象型、解析型と直観型があるが、これがやはり詩人の二つの型に対応されるべき各自に共通な因子をもっているように見える。
 詩人にも科学者にもそれぞれの型について無限に多様な優劣の段階がある。要は型の問題ではなくて、段階の問題だけであるらしい。
[#地から3字上げ](昭和十年二月、渋柿)



底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年11月20日第1刷発行
   1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年9月5日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年2月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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