を提供するかもしれない。
 このおもちゃは、たしかに二十年も前にやはり夜店で見たことがあるから、かなり昔からあるかもしれない。もしこれが日本人の発明だとしたらたしかに自慢のできるものである。事によるとシナから来たかもしれない。玩具《がんぐ》研究家の示教を得れば幸いである。
 こんな巧妙なものでも、時代に合わず、西洋からはやってこない限りたいして商売にはならないらしい。
 二十年前に見た時に感心したのは売り手のじいさんの団扇《うちわ》の使い方の巧妙なことであった。団扇の微妙な動かし方一つでおどけた四角の紙の獅子《しし》が、ありとあらゆる、「いわゆる獅子」の姿態をして見せる。つくづく見ていると、この紙片に魂がはいって、ほんとうに二匹の獅子が遊び戯れ相《あい》角逐《かくちく》しまた跳躍しているような幻覚をひき起こさせた。真に入神の技であると思って、深い印象を刻みつけられたことであった。あやつり人形の糸の代わりに空気の渦《うず》を使っているのだから驚く価値があるのである。これもやはり錯覚を利用する芸術である。
 それが、昭和八年の夜店に現われたところを見ると、昔の紙の障子はセルロイドの円筒形スクリーンに変わっている。売り手のよごれた苦《にが》いじいさんは、洋服姿のモダンボーイに変わっている。しかし団扇の使い方に見られたあの入神の妙技《ヴァーチュオシティ》はもう見られない。獅子はバタバタとチャールストンを踊るだけである。なるほどこのほうがほがらかで現代的で見るのに骨が折れない。一目見れば満足して次の店に移って行かれる。忙しい世の中に適している。
 大正から昭和へかけての妙技無用主義、ジャズ・レビュー時代がどれだけ続いて、その後にまた少し落ち着いてゆっくり深く深く掘り下げて洗練を経たものが喜ばれ尊重される時代が来るか、天文学者が遊星の運動を観測しているような、気長い気持ちで見ているのもまた興味のないことではない。
[#地から3字上げ](昭和八年八月、中央公論)



底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年5月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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