災難雑考
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)大垣《おおがき》の
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)旅客飛行機|白鳩号《しろはとごう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](昭和十年七月、中央公論)
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大垣《おおがき》の女学校の生徒が修学旅行で箱根《はこね》へ来て一泊した翌朝、出発の間ぎわに監督の先生が記念の写真をとるというので、おおぜいの生徒が渓流《けいりゅう》に架したつり橋の上に並んだ。すると、つり橋がぐらぐら揺れだしたのに驚いて生徒が騒ぎ立てたので、振動がますますはげしくなり、そのためにつり橋の鋼索が断たれて、橋は生徒を載せたまま渓流に墜落し、無残にもおおぜいの死傷者を出したという記事が新聞に出た。これに対する世評も区々で、監督の先生の不注意を責める人もあれば、そういう抵抗力の弱い橋を架けておいた土地の人を非難する人もあるようである。なるほどこういう事故が起こった以上は監督の先生にも土地の人にも全然責任がないとは言われないであろう。しかし、考えてみると、この先生と同じことをして無事に写真をとって帰って、生徒やその父兄たちに喜ばれた先生は何人あるかわからないし、この橋よりもっと弱い橋を架けて、そうしてその橋の堪えうる最大荷重についてなんの掲示もせずに通行人の自由に放任している町村をよく調べてみたら日本全国におよそどのくらいあるのか見当がつかない。それで今度のような事件はむしろあるいは落雷の災害などと比較されてもいいようなきわめて稀有《けう》な偶然のなすわざで、たまたまこの気まぐれな偶然のいたずらの犠牲になった生徒たちの不幸はもちろんであるが、その責任を負わされる先生も土地の人も誠に珍しい災難に会ったのだというふうに考えられないこともないわけである。
こういう災難に会った人を、第三者の立場から見て事後にとがめ立てするほどやさしいことはないが、それならばとがめる人がはたして自分でそういう種類の災難に会わないだけの用意が完全に周到にできているかというと、必ずしもそうではないのである。
早い話が、平生地震の研究に関係している人間の目から見ると、日本の国土全体が一つのつり橋の上にかかっているようなもので、しかも、そのつり橋の鋼索があすにも断たれるかもしれないというかなりな可能性を前に控えているような気がしないわけには行かない。来年にもあるいはあすにも、宝永四年または安政元年のような大規模な広区域地震が突発すれば、箱根《はこね》のつり橋の墜落とは少しばかり桁数《けたすう》のちがった損害を国民国家全体が背負わされなければならないわけである。
つり橋の場合と地震の場合とはもちろん話がちがう。つり橋はおおぜいでのっからなければ落ちないであろうし、また断えず補強工事を怠らなければ安全であろうが、地震のほうは人間の注意不注意には無関係に、起こるものなら起こるであろう。
しかし、「地震の現象」と「地震による災害」とは区別して考えなければならない。現象のほうは人間の力でどうにもならなくても「災害」のほうは注意次第でどんなにでも軽減されうる可能性があるのである。そういう見地から見ると大地震が来たらつぶれるにきまっているような学校や工場の屋根の下におおぜいの人の子を集団させている当事者は言わば前述の箱根つり橋墜落事件の責任者と親類どうしになって来るのである。ちょっと考えるとある地方で大地震が数年以内に起こるであろうという確率と、あるつり橋にたとえば五十人乗ったためにそれがその場で落ちるという確率とは桁違いのように思われるかもしれないが、必ずしもそう簡単には言われないのである。
最近の例としては台湾《たいわん》の地震がある。台湾は昔から相当烈震の多い土地で二十世紀になってからでもすでに十回ほどは死傷者を出す程度のが起こっている。平均で言えば三年半に一回の割である。それが五年も休止状態にあったのであるから、そろそろまた一つぐらいはかなりなのが台湾じゅうのどこかに襲って来てもたいした不思議はないのであって、そのくらいの予言ならば何も学者を待たずともできたわけである。しかし今度襲われる地方がどの地方でそれが何月何日ごろに当たるであろうということを的確に予知することは今の地震学では到底不可能であるので、そのおかげで台湾島民は烈震が来れば必ずつぶれて、つぶれれば圧死する確率のきわめて大きいような泥土《でいど》の家に安住していたわけである。それでこの際そういう家屋の存在を認容していた総督府当事者の責任を問うて、とがめ立てることもできないことはないかもしれないが、当事者の側から言わせるとまたいろいろ無理のない事情があって、この危険な土角造《トウカツづ
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