白鳩号《しろはとごう》というのが九州の上空で悪天候のために針路を失して山中に迷い込み、どうしたわけか、機体が空中で分解してばらばらになって林中に墜落した事件について、その事故を徹底的に調査する委員会ができて、おおぜいの学者が集まってあらゆる方面から詳細な研究を遂行し、その結果として、このだれ一人目撃者の存しない空中事故の始終の経過が実によく手にとるようにありありと推測されるようになって来て、事故の第一原因がほとんど的確に突き留められるようになり、従って将来、同様の原因から再び同様な事故を起こすことのないような端的な改良をすべての機体に加えることができるようになったことである。
 この原因を突きとめるまでに主としてY教授によって行なわれた研究の経過は、下手《へた》な探偵小説《たんていしょうせつ》などの話の筋道よりは実にはるかにおもしろいものであった。乗組員は全部墜死してしまい、しかも事故の起こったよりずっと前から機上よりの無線電信も途絶えていたから、墜落前の状況については全くだれ一人知った人はない。しかし、幸いなことには墜落現場における機体の破片の散乱した位置が詳しく忠実に記録されていて、その上にまたそれら破片の現品がたんねんに当時のままの姿で収集され、そのまま手つかずに保存されていたので、Y教授はそれを全部取り寄せてまずそのばらばらの骨片から機の骸骨《がいこつ》をすっかり組み立てるという仕事にかかった、そうしてその機材の折れ目割れ目を一つ一つ番号をつけてはしらみつぶしに調べて行って、それらの損所の機体における分布の状況やまた折れ方の種類のいろいろな型を調べ上げた。折れた機材どうしが空中でぶつかったときにできたらしい傷あとも一々たんねんに検査して、どの折片がどういう向きに衝突したであろうかということを確かめるために、そうした引っかき傷の蝋形《ろうがた》を取ったのとそれらしい相手の折片の表面にある鋲《びょう》の頭の断面と合わしてみたり、また鋲の頭にかすかについているペンキを虫めがねで吟味したり、ここいらはすっかりシャーロック・ホールムスの行き方であるが、ただ科学者のY教授が小説に出て来る探偵《たんてい》とちがうのは、このようにして現品調査で見当をつけた考えをあとから一々実験で確かめて行ったことである。それには機材とほぼ同様な形をした試片をいろいろに押し曲げてへし折ってみて、その折れ口の様子を見てはそれを現品のそれと比べたりした。その結果として、空中分解の第一歩がどこの折損から始まり、それからどういう順序で破壊が進行し、同時に機体が空中でどんな形に変形しつつ、どんなふうに旋転しつつ墜落して行ったかということのだいたいの推測がつくようになった。しかしそれでは肝心の事故の第一原因はわからないのでいろいろ調べているうちに、片方の補助翼を操縦する鋼索の張力を加減するためにつけてあるタンバックルと称するネジがある、それがもどるのを防ぐために通してある銅線が一か所切れてネジが抜けていることを発見した。それから考えるとなんらかの原因でこの留めの銅線が切れてタンバックルが抜けたために補助翼がぶらぶらになったことが事故の第一歩と思われた。そこで今度は飛行機翼の模型を作って風洞《ふうどう》で風を送って試験してみたところがある風速以上になると、補助翼をぶらぶらにした機翼はひどい羽ばたき振動を起こして、そのために支柱がくの字形に曲げられることがわかった。ところが、前述の現品調査の結果でもまさしくこの支柱が最初に折れたとするとすべてのことが符合するのである。こうなって来るともうだいたいの経過の見通しがついたわけであるが、ただ大切なタンバックルの留め針金がどうして切れたか、またちょっと考えただけでは抜けそうもないネジがどうして抜け出したかがわからない。そこで今度は現品と同じ鋼索とタンバックルの組み合わせをいろいろな条件のもとに週期的に引っぱったりゆるめたりして試験した結果、実際に想像どおりに破壊の過程が進行することを確かめることができたのであった。要するにたった一本の銅線に生命がつながっていたのに、それをだれも知らずに安心していた。そういう実にだいじなことがこれだけの苦心の研究でやっとわかったのである。さて、これがわかった以上、この命の綱を少しばかり強くすれば、今後は少なくもこの同じ原因から起こる事故だけはもう絶対になくなるわけである。
 この点でも科学者の仕事と探偵《たんてい》の仕事とは少しちがうようである。探偵は罪人を見つけ出しても将来の同じ犯罪をなくすることはむつかしそうである。
 しかし、飛行機を墜落させる原因になる「罪人」は数々あるので、科学的探偵の目こぼしになっているのがまだどれほどあるか見当はつかない。それがたくさんあるらしいと思わせるのは時によ
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