朝日新聞』)
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         七

      霧の海

 野原に下りた霧の渺々《びようびよう》として海のごとく見ゆるをいう。ドイツにはこれに相当して Nebelmeer という字がある。仏国にも une mer de brouillard という語がある。

      霧の笆《まがき》

 霧は「切り」で、立ち切る意なりとの説がある。霧が物を障《さえぎ》る事は東西を通じて詩にも歌にもいろいろに云い現されているが、ある学者は霧が視界を障ぎる距離を詳しく調べてみた。その人の説によれば視力の及ぶ距離は霧の滴の直径に比例し、空気の一定容積中に含まるる水の量に反比例する。早くいえば霧が細かくて濃いほど遠くが見えぬのである。先ず普通山中などで出会う霧では百歩の外は見えぬものと思えばよい。英語に「霧の堤」という語があるが、これは障るという意味よりはむしろ海上などで霧が水平線に堤のように下りて陸と見違えるようなのをいうそうである。

      霧の香

 古書には「霧に匂ひのあるものなり云々」とあるが水滴ばかりでは香のあるはずはない。按ずるに、霧の凝結する核となる塵埃中にはい
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