これが『猫』の寒月《かんげつ》君の話を導き出したものらしい。高浜さんは覚えておられるかどうか一度聞いてみたいと思っている。
 虚子が小説を書き出した頃は、自分はもう一般に小説というものを読まなくなっていたので、随《したが》ってその作品も遺憾ながらほとんど読んでいない。ただ、何であったか、坊主の耳の動くことを書いてあったのを面白いと思ったことがあるくらいである。
 千駄木の文章会時代のものはよく読んだ。他の連中の書くものに比べて、虚子のものには、それが表面上は単なる写生的のものでも、その裏面に何かしら夢幻的の雰囲気が漂っているような気がした。四方太氏の刻明な写生文などに比べて特にそんな気がするのであった。
 近頃の『ホトトギス』で虚子の満州旅行記を時々読んでみる。やはり昔の虚子が居るような気がする。筆が洗練され、枯淡になっていても、やはりどこか昔の虚子の「三つのもの」や「石棺」時代の名残のようなものが紙面の底から浮上がって来るように私には感ぜられるのである。しかしそういう点を高浜虚子氏に対して感ずる人は割合に少ないかもしれない。丸ビル時代の『ホトトギス』しか知らない人にはちょっとそれが分
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