羽織、それでゴム靴をはいて折カバンを小脇にかかえている、そうして非常にゆっくり落着いて歩いて来るのである。その時私は直感的に、これが虚子という人ではないかと思った。その後子規の所で出会ってその直感の的中していたことを知ったのである。中折帽に着流しでゴム靴をはいて、そしてひどく考え込んだような風でゆっくり歩いて来る姿をはっきり覚えているように思うのであるが、しかし、これはよくある覚えちがいであるかもしれない。それから前垂《まえだれ》のようなものを着けていたような気もするがこれはいっそう覚束ない。
子規に、その写生画を見せてもらっているうちに熟柿を描いたのがあった。それに、虚子|曰《いわ》く馬の肛門のようだ、という意味の言葉がかいてあった。私が笑ったら、子規は、いや本当にそう思ったのだから面白いのだと云って虚子のリマークを弁護したのであった。
子規の葬式の日、田端《たばた》の寺の門前に立って会葬者を見送っていた人々の中に、ひどく憔悴《しょうすい》したような虚子の顔を見出したことも、思い出すことの一つである。
千駄木町の夏目先生の御宅の文章会で度々|一処《いっしょ》になった。文章の読み
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