檜葉《ひば》を摘んで二十倍で覗いてみた。まるで翡翠《ひすい》か青玉で彫刻した連珠形の玉鉾《たまほこ》とでも云ったような実に美しい天工の妙に驚嘆した。たった二十倍の尺度の相違で何十年来毎日見馴れた世界がこんなにも変った別世界に見えるのである。ワンダーランドのアリスの冒険の一場面を想い出した。顕微鏡下の世界の驚異にはしかし御伽噺《おとぎばなし》作者などの思いも付かなかったものがあるらしい。
シモツケの繖形花《さんけいか》も肉眼で見たところでは、あの一つ一つの花冠はさっぱりつまらないものであるが、二十倍にして見るとこれも驚くべき立派な花である。桃色|珊瑚《さんご》ででも彫刻したようで、しかもそれよりももっと潤沢と生気のある多肉性の花弁、その中に王冠の形をした環状の台座のようなものがあり、周囲には純白で波形に屈曲した雄蕊《おしべ》が乱立している。およそ最も高貴な蘭科植物の花などよりも更に遥かに高貴な相貌風格を具備した花である。
スカンボの花などもさっぱり見所のないもののように思っていたが、顕微鏡で見るとこれも実に堂々たる傑作品である。植物図鑑によると雄花と雌花と別になっているそうであるが、自分の見た中にはどうも雄蕊雌蕊《おしべめしべ》を兼備しているらしいものも見えた。
カワラマツバの小さな四弁花は弁と弁との間から出た雄蕊がみんな下へ垂れ下がって花心から逃げ出しそうにしている。ウツボグサの紫花の四本の雄蕊は尖端が二《ふ》た叉《また》になっていて、その一方の叉には葯《やく》があるのに他の一方はそれがなくて尖《とが》ったままで反り曲っている。こうした造化の設計には浅墓《あさはか》なわれわれには想像もつかないような色々の意図があるかもしれないという気がする。
以上のような花に比べると例えばホタルブクロのような大きな花は却って二十倍くらいに廓大《かくだい》して見てもそれ程びっくりするような意外な発見はないようであった。しかしもっと色々見ていたらまた珍しい見物に出っくわさないとも限らないであろう。
ある花はこんなに細小でまたある花は途方もなく大きい。これも不思議である。細かい花は通例沢山に簇出《そうしゅつ》しているような気がする。これも不思議である。そうして多くの草の全体重と花だけの総体重との比率にはおおよそ最高最低限度がありそうな気がしてこれも何かわれわれのまだ知らない科学
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