酔して足元があぶないのに、客車の入り口の所に立ってわめいている。満州国がどうして日本帝国がどうかしたといったような事を言って相手を捜している。客車の中から一人洋服を着た若い学校の先生らしいのが出て来て、手を握ったり肩をたたいたりしてなだめている。労働者は喜んで何か口の中でもぐもぐ言いながらその若者を拝むようなまねをした。ちょっとした芝居であった。その車の入り口のいちばん端にいた浴衣がけの若者が、知らん顔をしてはいたが、片腕でしっかり壁板を突っぱって酔漢がころげ落ちないように垣《かき》を作っていた。新青年と旧青年との対照を意外なところで見せられる気がした。
雨気を帯びた南風が吹いて、浅間の斜面を白雲が幾条ものひもになってはい上がる。それが山腹から噴煙でもしているように見える。峰の茶屋のある峠の上空に近く、巨口を開いた雨竜《あまりょう》のような形をしたひと流れのちぎれ雲が、のた打ちながらいつまでも同じ所を離れない。ここで気流が戦って渦を巻いているのであろう。
日によってはまた、浅間の頂からちょうど牡丹《ぼたん》の花弁のような雲の花冠が咲き出ていることもある。それからまた、晴れた日に頂上
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