、いわゆる「居留地」向きの雑貨のほかに、一九三三年の東京の銀座にあると同じような新しいものもあるのである。書店の棚にはギリシア語やヘブライ語の辞書までも見いだされる。聖書の講義もあればギャング小説もある。
 郵便局の横町にナンキン町がある。店にいて往来人をじろじろながめる人たちの顔つき目つきがどこかやはりちがう。なんとなくゲットーのような趣もある。周囲がみんななまけて金を使っている中でこの横町の人たちだけは懸命で働いて金をもうけているのである。
 このへんで道をきくと「これをまっすぐに、まっすぐに……」と言われるにきまっているらしい。まっすぐに行かれるように道ができているのである。
 ゴルフリンクの入り口でお茶を引いているキァデーの群れがしきりにクラブを振りまわしている。なんだか哀れである。昔とちがって今では貧民の子でも旧大名のお姫様のお供をして歩かれる。しかし日常生活の程度の相違は昔と同じか、むしろいっそう著しいであろう。子供らは得意になって殿様がたのような気持ちになってクラブをふるうているのである。リンクの入り口には「危険」だから入場するなというような意味の立て札がある。ちょっとしたアイロニーを感じさせる。垣根からのぞくと広々とした緑の海の上にぽつりぽつり白帆のように人影が見える。ゴルフをやらない人間から見ると、ゴルフをやっている人はみんな大貴族か大金持ちのように思われる。垣根ただ一重の内側の緑野は、自分らとは生涯なんの因縁もない別の世界のような気がする。しかしもしかこれで、何かの回り合わせで、自分でゴルフをやり始めたら、また現在とはよほどちがった気持ちで、この緑の草原が見直されることであろう。
 ゴルフ場からニューグランドへの、清流に沿うてゆるやかにうねり行く山腹の道路は、どこか日本ばなれのした景色である。樺や栃や厚朴《ほおのき》や板谷《いたや》などの健やかな大木のこんもり茂った下道を、歩いている人影も自動車の往来もまれである。自転車に乗った御用聞きが西洋婦人をよけようとしてぬかるみにすべってころんだ。
 至るところでうぐいすが鳴く。もしか、うぐいすの鳴き声のきらいな人があったら、一日もこのへんにはいられないであろう。しかしだれでもうぐいすの声を楽しまない人はない。思うにわれわれの遠い祖先が山林の中をさまよい歩いて、生きるために天然とたたかっていたころから、人
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