踊りにはふさわしく美しく見えたが、洋装のお嬢さんたちのはどうも表情体操でも見るようで、おかしくはないが全くなんの情味もないものに思われた。それからまた、浴衣《ゆかた》に頬《ほお》かぶりの男はいいが、その頬かぶりの中からロイドめがねの光っているのも不思議な見ものである。いちばん板について見えるのはやはりふだん着のままで踊る宿の女中や村嬢たちの姿であろう。
踊りの興がたけなわな最中を、全く無関心で静かに眠っている小さな生命があった。それは宿の前の池のあひるである。この前に来たときは橋より下流の大きい池にばかり泳いでいたのが、その後に一度下の池で花火を上げてから以来上の池へ移って、それきり、どうしても、橋一つ隔てた下の池へは行かなくなったそうである。そうして、一日じゅうの大部分は藤棚《ふじだな》の下の浅瀬で眠ったり泥《どろ》の中をせせったりして暮らしている。夜になると下流の発電所への水の供給が増すせいであろう、池の水位が目に立つほど減って、浅瀬が露出した干潟《ひがた》になる。盆踊りを見ての帰りに池面のやみをすかして見るとこの干潟の上に寂寞《じゃくまく》とうずくまっていることもあり、何かしら落ち着かぬように首を動かしていることもあった。
このあひるが自身たちの室《へや》の前の道路に上がっているときに、パンやまんじゅうの皮の切れはしを投げてやると、はじめはこわそうに様子をうかがってはその餌《えさ》をさらって急いで逃げ出す、そうして首を左右に曲げて人間なら横目づかいといったような格好で人間の顔色を見ながら、次のをくれるかどうかと待っているように見える。毎日やっているうちに次第に慣れて来た。朝早く起きてヴェランダへ出て見ると、もうちゃんと上がり口の階段の前へ来て待っている。人を見ると低い声でガーガーガーと三声か四声ぐらい鳴く。有り合わせの餌を一片二片とだんだん近くへ投げてやると、おしまいには、もう手に持っているカステイラなどをくちばしで引ったくって頬張《ほおば》る事を覚えてしまった。いくら食わせてもなかなかこの貪食《どんしょく》な小動物を満足させることはむつかしいように見える。それでいいかげんに切り上げて池の中へ追い込んでやると、またいつもの藤棚《ふじだな》の下へ帰って行って、そうしてきっと水を飲む。それが実にさもうまそうに、ひと口しゃくっては首をゆすり上げ、舌鼓を打って味わっているように見えるのである。そうして浅瀬のせせらぎに腹を洗わせながら、じっとして動かないでいる姿は実に美しいものである。あひるが陸《おか》へ上がってよちよち歩くときの格好は、およそ醜い歩行の姿の典型として引き合いに出るくらいであるが、こうしてその固有のおるべき環境にいるときの自然の姿はこのようにも美しく典雅なものである。固有でない環境に置かれれば錦繍《きんしゅう》でもきたなく、あるべき所にあれば糞堆《ふんたい》もまた詩趣があるようなものであろう。今の日本では毛色の変わったいろいろの環境と物とが入り乱れて、何が固有であるか見当がつかない状態にあることは、ちょうどここの盆踊りのようなものである。これが時の精錬器械にかかって渾然《こんぜん》とした一つの固有文化を形成するまでには何百年待たなければならないことか見当もつかない次第である。おそらくいつまでもそうならないところに日本文化の特徴があるかもしれない。
あひるは四五日の間に目に見えて肥《ふと》ったようである。そうして一日のうちには何度となくヴェランダの前へ来て、ガーガーと来意を告げるのである。今に秋風が音ずれて、われわれのみならず、このへんの人たちがみんな引き上げて帰ってしまったあとでも、このあひるはやはりだれもいない明き家のヴェランダの前へ来て、首を左右にかしげて、小さな丸い目でのぞき込みながらガーガーと鳴いているであろうと想像するのはちょっとおかしくもあればあわれでもある。
驟雨《しゅうう》が襲って来るとあひるは肩をそびやかしたような格好をしてその胸にくちばしをうずめたまま、いつまでもじっとしている。雨の落下の流れに対してあひるに可能な最小な断面を向けるような格好をしている。科学も何も知らないあひるは、本能に教えられて最も合理的な行動をすると見える。人間はどうかすると未熟な科学の付け焼き刃の価値を過信して、時々鳥獣に笑われそうな間違いをして得意になったり、生兵法の大けがをしてもまだ悟らない。科学はまだまだ、というよりはむしろ永久に自然から教えを受けなければならないはずである。科学の目的といえばもともと自然から学ぶということよりほかには何物もないはずであるのに、いつのまにかこの事を忘れ思い上がった末には、あべこべに人間が自然を教えでもするもののような錯覚を起こす。これもおもしろい現象である。こういう思い違いをす
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