fを感じる若者も多かったであろうが、中にはわざわざ彼女達につかまって田の泥を塗られることの快感を享楽するために出かける人もあるという話を聞いたことがあったようである。
 一度実際に泥を塗られている場面を見たことがある。その時の犠牲は三十恰好の商人風の男で、なんでも茶がかった袷《あわせ》の着流しに兵児帯《へこおび》をしめていたように思う。それが下駄を片手にぶらさげて跣足《はだし》で田の畦《あぜ》を逃げ廻るのを、村のアマゾン達が巧妙な戦陣を張ってあらゆる遁《に》げ路《みち》を遮断しながらだんだんに十六むさしの罫線のような畦を伝って攻め寄せて行った。その後から年とった女達が鍬《くわ》の上に泥を引っかけたのを提《さ》げて弾薬補給の役目をつとめるためについて行くのである。とうとうつかまって顔といわず着物といわずべとべとの腐泥《ふでい》を塗られてげらげら笑っている三十男の意気地なさをまざまざと眼底に刻みつけられたのは、誠に得難い教訓であった。維新前の話であるが、通りがかりの武士が早乙女に泥を塗られたのを怒ってその場で相手を斬殺した事件があって、それを種に仕組んだ芝居が町の劇場で上演されたこともあったようである。
 これらの泥塗事件も唯物論的に見ると、みんな結局は内分泌に関係のある生化学的問題に帰納されるのかもしれない。そういえば、春過ぎて若葉の茂るのも、初鰹の味の乗って来るのも山時鳥《やまほととぎす》の啼き渡るのもみんなそれぞれ色々な生化学の問題とどこかでつながっているようである。しかしたとえこれに関して科学者がどんな研究をしようとも、いかなる学説を立てようとも、青葉の美しさ、鰹のうまさには変りはなく、時鳥の声の喚び起す詩趣にもなんら別状はないはずであるが、それにかかわらずもしや現代が一世紀昔のように「学問」というものの意義の全然理解されない世の中であったとしたら、このような科学的五月観などはうっかり口にすることを憚《はばか》らなければならなかったかもしれないのである。そういう気兼ねのいらないのは誠に二十世紀の有難さであろうと思われる。[#地から1字上げ](昭和十年五月『大阪朝日新聞』)



底本:「寺田寅彦全集 第二巻」岩波書店
   1997(平成9)年1月9日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2005年2月20日作成
青空文庫作成ファイル:

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