はずになっており、従ってパリ滞在中は財布の内圧が極度に低下していたので特に煙草の専売に好感を有《も》ち損なったのであろう。マッチも高かったと思うが、それよりもマッチのフランス語を教わって来るのを忘れていたためにパリへ着いて早速当惑を感じた。ドイツで教わったフランス語の先生が煙草を吸わないのがいけなかったらしい。とにかく金がないのに高い煙草を吸い、高いマロン・グラセーをかじったのが祟《たた》ったと見えて、今日でも時々、西洋に居て金が無くなって困る夢を見る。大抵胃の工合《ぐあい》の悪いときであるらしいが、そういう夢の中ではきまって非常に流暢《りゅうちょう》にドイツ語がしゃべれるのが不思議である。パリで金が少ないのと、言葉が自由でないのと両方で余計な神経を使ったのが脳髄のどこかの隅に薄いしみのように残っているものと見える。心理分析研究家の材料にこの夢を提供する。
西洋にいる間はパイプは手にしなかった。当時ドイツやフランスではそんなに流行《はや》っていなかったような気がする。ロンドンの宿に同宿していた何とかいう爺さんが、夕飯後ストーヴの前で旨《うま》そうにパイプをふかしながら自分等の一行の田所氏を捉《つか》まえて、ミスター・ターケドーロと呼びかけてはしきりにアイルランド問題を論じていた。このターケドーロが出ると日本人仲間は皆笑い出したが、爺さんには何が可笑《おか》しいのか見当が付かなかったに相違ない。
アインシュタインが東京へ来た頃からわれわれ仲間の間でパイプが流行し出したような気がする。しかしパイプ道楽は自分のような不精者には不向きである。結局世話のかからない「朝日」が一番である。
煙草の一番うまいのはやはり仕事に手をとられてみっしり働いて草臥《くたび》れたあとの一服であろう。また仕事の合間の暇を盗んでの一服もそうである。学生時代に夜|更《ふ》けて天文の観測をやらされた時など、暦表を繰って手頃な星を選み出し、望遠鏡の度盛を合わせておいて、クロノメーターの刻音を数えながら目的の星が視野に這入って来るのを待っている、その際《きわ》どい一、二分間を盗んで吸付ける一服は、ことに凍るような霜夜もようやく更けて、そろそろ腹の減って来るときなど、実に忘れ難い不思議な慰安の霊薬であった。いよいよ星が見え出しても口に銜《くわ》えた煙草を捨てないで望遠鏡を覗《のぞ》いていると煙が直上して眼を刺戟し、肝心な瞬間に星の通過《トランシット》を読み損なうようなことさえあった。後にはこれに懲《こ》りて、いよいよという時の少し前に、眼は望遠鏡に押付けたまま、片手は鉛筆片手は観測簿で塞がっているから、口で煙草を吹き出して盲目捜しに足で踏み消すというきわどい芸当を演じた。火事を出さなかったのが不思議なくらいである。
油絵に凝《こ》っていた頃の事である。一通り画面を塗りつぶして、さて全体の効果をよく見渡してからそろそろ仕上げにかかろうというときの一服もちょっと説明の六《むつ》かしい霊妙な味のあるものであった。要するに真剣にはたらいたあとの一服が一番うまいということになるらしい。閑《ひま》で退屈してのむ煙草の味はやはり空虚なような気がする。
煙草の「味」とは云うもの、これは明らかに純粋な味覚でもなく、そうかと云って普通の嗅覚《きゅうかく》でもない。舌や口蓋や鼻腔《びこう》粘膜などよりももっと奥の方の咽喉の感覚で謂《い》わば煙覚とでも名づくべきもののような気がする。そうするとこれは普通にいわゆる五官の外の第六官に数えるべきものかもしれない。してみると煙草をのまない人はのむ人に比べて一官分だけの感覚を棄権している訳で、眼の明いているのに目隠しをしているようなことになるのかもしれない。
それはとにかく煙草をのまぬ人は喫煙者に同情がないということだけはたしかである。図書室などで喫煙を禁じるのは、喫煙家にとっては読書を禁じられると同等の効果を生じる。
先年胃をわずらった時に医者から煙草を止《や》めた方がいいと云われた。「煙草も吸わないで生きていたってつまらないから止《よ》さない」と云ったら、「乱暴なことを云う男だ」と云って笑われた。もしあの時に煙草を止めていたら胃の方はたしかによくなったかもしれないが、その代りにとうに死んでしまったかもしれないという気がする。何故だか理由は分らないが唯そんな気がするのである。
煙草の効能の一つは憂苦を忘れさせ癇癪《かんしゃく》の虫を殺すにあるであろうが、それには巻煙草よりはやはり煙管の方がよい。昔自分に親しかったある老人は機嫌が悪いと何とも云えない変な咳払いをしては、煙管の雁首で灰吹をなぐり付けるので、灰吹の頂上がいつも不規則な日本アルプス形の凸凹を示していた。そればかりでなく煙管の吸口をガリガリ噛むので銀の吸口が扁《ひら》たくひしゃげていたようである。いくら歯が丈夫だとしてもあんなに噛みひしゃぐには口金の銀が相当薄いものでなければならなかったと考えられる。それはとにかく、この老人はこの煙管と灰吹のおかげで、ついぞ家族を殴打したこともなく、また他の器物を打毀《うちこわ》すこともなく温厚篤実な有徳《うとく》の紳士として生涯を終ったようである。ところが今の巻煙草では灰皿を叩いても手ごたえが弱く、紙の吸口を噛んでみても歯ごたえがない。尤も映画などで見ると今の人はそういう場合に吸殻《すいがら》で錐《きり》のように灰皿の真中をぎゅうぎゅう揉《も》んだり、また吸殻をやけくそに床に叩きつけたりするようである。あれでも何もしないよりはましであろう。
自分は近来は煙草で癇癪をまぎらす必要を感じるような事は稀であるが、しかしこの頃煙草の有難味《ありがたみ》を今更につくづく感じるのは、自分があまり興味のない何々会議といったような物々しい席上で憂鬱になってしまった時である。他の人達が天下国家の一大事であるかのごとく議論している事が、自分には一向に一大事のごとく感ぜられないで、どうでもよい些末《さまつ》な事のように思われる時ほど自分を不幸に感じることはない。最も重要なる会議がナンセンスの小田原会議のごとく思われるというのはこれはたしかにそう思う自分が間違っているに相違ないからである。
そういう憂鬱に襲われたときには無闇に煙草を吹かしてこの憂鬱を追払うように努力する。そういう時に、口からはなした朝日の吸口を緑色|羅紗《ラシャ》の卓布に近づけて口から流れ出る真白い煙をしばらくたらしていると、煙が丸く拡がりはするが羅紗にへばり付いたようになって散乱しない。その「煙のビスケット」が生物のように緩やかに揺曳《ようえい》していると思うと真中の処が慈姑《くわい》の芽のような形に持上がってやがてきりきりと竜巻のように巻き上がる。この現象の面白さは何遍繰返しても飽きないものである。
物理学の実験に煙草の煙を使ったことはしばしばあった。ことに空気を局部的に熱したときに起る対流渦動の実験にはいつもこれを使っていたが、後には線香の煙や、塩酸とアンモニアの蒸気を化合させて作る塩化アンモニアの煙や、また近頃は塩化チタンの蒸気に水蒸気を作用させて出来る水酸化チタンの煙を使ったりしている。これはいわゆる無鉛白粉《むえんおしろい》を煙にしたようなものである。こういう煙に関して研究すべき科学的な問題が非常に多い。膠質《こうしつ》化学の方面からの理論的興味は別としても実用方面からの研究もかなり多岐にわたって進んではいるがまだ分らないことだらけである。国家の非常時に対する方面だけでも、煙幕の使用、空中写真、赤外線通信など、みんな煙の根本的研究に拠らなければならない。都市の煤煙問題、鉱山の煙害問題みんなそうである。灰吹から大蛇を出すくらいはなんでもないことであるが、大蛇は出てもあまり役に立たない。しかし鉱山の煙突から採れる銅やビスマスや黄金は役に立つのである。
尤も喫煙家の製造する煙草の煙はただ空中に散らばるだけで大概あまり役には立たないようであるが、あるいは空中高く昇って雨滴凝結の心核にはなるかもしれない。午前に本郷で吸った煙草の煙の数億万の粒子のうちの一つくらいは、午後に日比谷で逢った驟雨の雨滴の一つに這入っているかもそれは知れないであろう。
喫煙家は考えようでは製煙機械のようなものである。一日に紙巻二十本の割で四十年吸ったとすると合計二十九万二千本、ざっと三十万本である。一本の長さ八.五センチとして、それだけの朝日を縦につなぐと二四八二〇メートル、ざっと六里で思った程でもない。煙の容積にしたらどのくらいになるか。仮りに巻煙草一センチで一リートルの濃い煙を作るとする、そうして一本につき三センチだけ煙にするとして、三十万本で九十万リートル、ざっと見て十メートル四角のものである。製煙機械としての人間の能力はあまり威張れたものではないらしい。
しかし人間は煙草以外にもいろいろの煙を作る動物であって、これが他のあらゆる動物と人間とを区別する目標になる。そうして人間の生活程度が高ければ高いほど余計に煙を製造する。蛮地では人煙が稀薄であり、聚落《しゅうらく》の上に煙の立つのは民《たみ》の竈《かまど》の賑わえる表徴である。現代都市の繁栄は空気の汚濁の程度で測られる。軍国の兵力の強さもある意味ではどれだけ多くの火薬やガソリンや石炭や重油の煙を作り得るかという点に関係するように思われる。大砲の煙などは煙のうちでもずいぶん高価な煙であろうと思うが、しかし国防のためなら止むを得ないラキジュリーであろう。ただ平時の不注意や不始末で莫大な金を煙にした上に沢山の犠牲者を出すようなことだけはしたくないものである。
これは余談であるが、一、二年前のある日の午後煙草を吹かしながら銀座を歩いていたら、無帽の着流し但し人品|賤《いや》しからぬ五十恰好の男が向うから来てにこにこしながら何か話しかけた。よく聞いてみると煙草を一本くれないかというのである。丁度持合せていたMCCかなんかを進呈してマッチをかしてやったら、「や、こりゃあ有難う有難う」と何遍もふり返っては繰返しながら行過ぎた。往来の人が面白そうににこにこして見ていた。甚だ平凡な出来事のようでもあるが、しかしこの事象の意味がいまになっても、どうしても自分には分らない。つまらないようで実に不思議なアドヴェンチュアーとして忘れることが出来ないのである。もし読者のうちでこの謎の意味を自分の腑《ふ》に落ちるようにはっきり解説してくれる人があったら有難いと思うのである。[#地から1字上げ](昭和九年八月『中央公論』)
底本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店
1997(平成9)年3月5日発行
初出:「中央公論」
1934(昭和9)年8月
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2005年5月7日作成
2009年9月15日修正
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