ていた。考えてみると実に原始的なもので、おそらく煙草の伝来以来そのままの器械であったろうと思われる。
農夫などにはまだ燧袋《ひうちぶくろ》で火を切り出しているのがあった。それが羨ましくなって真似をしたことがあったが、なかなか呼吸が六《むつ》かしくて結局は両手の指を痛くするだけで十分に目的を達することが出来なかった。神棚の燈明《とうみょう》をつけるために使う燧金《ひうちがね》には大きな木の板片が把手《とって》についているし、ほくちも多量にあるから点火しやすいが、喫煙用のは小さい鉄片の頭を指先で抓《つま》んで打ちつけ、その火花を石に添えたわずかな火口《ほくち》に点じようとするのだから六かしいのである。
火の消えない吸殻《すいがら》を掌《てのひら》に入れて転がしながら、それで次の一服を吸付けるという芸当も真似をした。この方はそんなに六かしくはなかったが時々はずいぶん痛い思いをしたようである。やはりそれが出来ないと一人前の男になれないような気がしたものらしい。馬鹿げた話であるが、しかしこの馬鹿げた気持がいつまでも抜け切らなかったおかげでこの年まで六かしい学問の修業をつづけて来たかもしれない
前へ
次へ
全20ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング