いて、喧嘩好きの海南健児の中にはそれを一つの攻防の武器と心得ていたのもあったらしい。とにかくその胴乱も買ってもらって嬉しがっていたようである。
はじめのうちは煙を咽喉《のど》へ入れるとたちまち噎《む》せかえり、咽喉も鼻の奥も痛んで困った、それよりも閉口したのは船に酔ったように胸が悪くなって吐きそうになった。便所へ入ってしゃがんでいると直ると云われてそれを実行したことはたしかであるが、それがどれだけ利いたかは覚えていない。それから、飯を食うと米の飯が妙に苦くて脂《やに》を嘗《な》めるようであった。全く何一つとして好《い》いことはなかったのに、どうしてそれを我慢してあらゆる困難を克服したか分りかねる。しかしとにかくそれに打勝って平気で鼻の孔から煙を出すようにならないと一人前になれないような気がしたことはたしかである。
煙草はたしか「極上国分《ごくじょうこくぶ》」と赤字を粗末な木版で刷った紙袋入りの刻煙草《きざみたばこ》であったが、勿論国分で刻《きざ》んだのではなくて近所の煙草屋できざんだものである。天井から竹竿で突張った鉋《かんな》のようなものでごしりごしりと刻んでいるのが往来から見え
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