ものである。こういう煙に関して研究すべき科学的な問題が非常に多い。膠質《こうしつ》化学の方面からの理論的興味は別としても実用方面からの研究もかなり多岐にわたって進んではいるがまだ分らないことだらけである。国家の非常時に対する方面だけでも、煙幕の使用、空中写真、赤外線通信など、みんな煙の根本的研究に拠らなければならない。都市の煤煙問題、鉱山の煙害問題みんなそうである。灰吹から大蛇を出すくらいはなんでもないことであるが、大蛇は出てもあまり役に立たない。しかし鉱山の煙突から採れる銅やビスマスや黄金は役に立つのである。
 尤も喫煙家の製造する煙草の煙はただ空中に散らばるだけで大概あまり役には立たないようであるが、あるいは空中高く昇って雨滴凝結の心核にはなるかもしれない。午前に本郷で吸った煙草の煙の数億万の粒子のうちの一つくらいは、午後に日比谷で逢った驟雨の雨滴の一つに這入っているかもそれは知れないであろう。
 喫煙家は考えようでは製煙機械のようなものである。一日に紙巻二十本の割で四十年吸ったとすると合計二十九万二千本、ざっと三十万本である。一本の長さ八.五センチとして、それだけの朝日を縦につな
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