ていた。考えてみると実に原始的なもので、おそらく煙草の伝来以来そのままの器械であったろうと思われる。
農夫などにはまだ燧袋《ひうちぶくろ》で火を切り出しているのがあった。それが羨ましくなって真似をしたことがあったが、なかなか呼吸が六《むつ》かしくて結局は両手の指を痛くするだけで十分に目的を達することが出来なかった。神棚の燈明《とうみょう》をつけるために使う燧金《ひうちがね》には大きな木の板片が把手《とって》についているし、ほくちも多量にあるから点火しやすいが、喫煙用のは小さい鉄片の頭を指先で抓《つま》んで打ちつけ、その火花を石に添えたわずかな火口《ほくち》に点じようとするのだから六かしいのである。
火の消えない吸殻《すいがら》を掌《てのひら》に入れて転がしながら、それで次の一服を吸付けるという芸当も真似をした。この方はそんなに六かしくはなかったが時々はずいぶん痛い思いをしたようである。やはりそれが出来ないと一人前の男になれないような気がしたものらしい。馬鹿げた話であるが、しかしこの馬鹿げた気持がいつまでも抜け切らなかったおかげでこの年まで六かしい学問の修業をつづけて来たかもしれない。
羅宇《らお》の真中を三本の指先で水平に支えて煙管を鉛直軸《えんちょくじく》のまわりに廻転させるという芸当も出来ないと幅が利かなかった。これも馬鹿げているが、後年器械などいじるための指の訓練にはいくらかなったかもしれない。人差指に雁首《がんくび》を引掛けてぶら下げておいてから指で空中に円を画《えが》きながら煙管をプロペラのごとく廻転するという曲芸は遠心力の物理を教わらない前に実験だけは卒業していた。
いつも同じ羅宇屋《らおや》が巡廻して来た。煙草は専売でなかった代りに何の商売にもあまり競争者のない時代であったのである。その羅宇屋が一風変った男で、小柄ではあったが立派な上品な顔をしていて言葉使いも野卑でなく、そうしてなかなかの街頭哲学者で、いろいろ面白いリマークをドロップする男であった。いつもバンドのとれたよごれた鼠色のフェルト帽を目深《まぶか》に冠《かぶ》っていて、誰も彼の頭の頂上に髪があるかないかを確かめたものはないという話であった。その頃の羅宇屋は今のようにピーピー汽笛を鳴らして引いて来るのではなくて、天秤棒《てんびんぼう》で振り分けに商売道具をかついで来るのであったが、どん
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