侏儒のダンスはわれわれの目には実に目まぐるしいほどテンポが早くて、どんなステップを踏んでいるか判断ができないくらいであろう。しかしそれだけの速い運動を支配し調節するためにはそれ相当に速く働く神経をもっていなければならない。その速い神経で感ずる時間感はわれわれの感じるとはかなりちがったものであろう。それで、事によるとこれらの一寸法師はわれわれの一秒をあたかもわれらの十秒ほどに感ずるかもしれず、そうだとすれば彼らはわれわれのいわゆる十年生きても実際百年生きたと同じように感じるかもしれない。
 朝生まれて晩に死ぬる小さな羽虫があって、それの最も自然な羽ばたきが一秒に千回であるとする。するとこの虫にとってはわれわれの一日は彼らの千日に当たるのかもしれない。
 森の茂みをくぐり飛ぶ小鳥が決して木の葉一枚にも触れない。あの敏捷《びんしょう》さがわれわれの驚嘆の的になるが、彼はまさに前記の侏儒国の住民であるのかもしれない。
 象が何百年生きても彼らの「秒」が長いのであったら、必ずしも長寿とは言われないかもしれない。
「秒」の長さは必ずしも身長だけでは計られないであろう。うさぎと亀《かめ》とでは身長は亀のほうが小さくても「秒」の長さは亀のほうが長いであろう。すると、どちらが長寿だか、これもわからない。さて、人間がいろいろの器械を作って、それを身体の代用物とする傾向がだんだんに増して来る。そうしてそれらの器械のリズムがだんだん早くなって来ると、われわれの「秒」は次第に短くなって行くかもしれない。それで、もしも現在の秒で測った人間の寿命が不変でいてくれればわれわれは次第に長生きになる傾向をもっているわけである。しかし人間の寿命がモーターの回転数で計られるようになることが幸か不幸かはそれはまた別問題であろう。

     四 空中殺人法

「神伝流游書《しんでんりゅうゆうしょ》」という水泳の伝書を読んでいたら、櫓業《やぐらわざ》岩飛《いわとび》中返《ちゅうがえり》などに関する条項の中に「兼ねて飛びに自在を得る時は水ぎわまでの間にて充分敵を仕留めらるるものなり」とか、「船軍《ふないくさ》の節敵を組み落とし、水ぎわまでの間にて仕留めるという教えはよほど飛びに自在を得ざれば勝利を得る事あたわず。よって平日この心にて修行すべきなり」とかまた「水ぎわまでの間にて敵を仕留めよ。陸地にてはいつも敵になげられよ。大地にわが体の落ち着くまでに敵を仕留むるの覚悟をせよ」とかいう文句がある。空中殺人法を説いたものである。現代では競技会でメダルやカップやレコードを仕留めるだけが目的の空中曲技も、昔の武士は生命のやりとり空中組み打ちの予行練習として行なったものと見える。
 ポアンカレ著「科学者と詩人」の訳本を見ていたら、「学者は普通に、徐々にしか真理を征服しないものであります。(中略)実際家は、そのように長くかからなければわからぬ真理はほとんど意に介しません。なぜなら、そのような真理は、実行の機が過ぎ去って、間に合わなくなってからわかって来るものだからです。(下略)」
 なるほど学者の仕事はとかくけんか過ぎての棒ちぎりになる場合が普通である。ダイナモができてからそれが発電する理由が証明されたり、飛行機が飛んでから、それが飛べる必然性が闡明《せんめい》されたりする。大地震が襲来して数万の生霊が消散した後にその地震が当然来るはずであった事が論ぜられたりするのは事実である。
 しかし必ずしもそうではないようである。学者がその仕事を「仕上げる」には長い月日を要するのは普通であるが、仕事をつかまえ、「仕留める」のにはやはり電光石火の空中曲技が必要な場合が多いように思われる。たとえば実験的科学の研究者がその研究の対象とする物象に直面している際には、ちょうど敵と組み打ちしているように一刻の油断もならない。いつ何時《なんどき》意外な現象が飛び出して来るかもわからないのみならず、眼前に起こっている現象の中から一つの「事実」を抽出し、仕留めるには非常な知能の早わざを要するものである。
 もっともいわゆる、ルーティン的な仕事であって、予定の方法で、予定の機械の指示する示度を機械的に読み取って時々手帳に記入し、それ以外の現象はどんな事があっても目をふさいで見ないことにする流儀の研究ではなんの早わざもいらない、これには何も人間でなくてもロボットもしくは自記装置を使えばすむことである。しかしこれでは決して予想以外の新しいことの見つかる気づかいはないであろう。瞬間に過ぎ去るような現象を捕えるのにはやはり「水ぎわまでの間に敵を仕留める」呼吸を要するであろう。またそういう瞬間的な現象でなく持続的な現象でもそれが複雑に入り組んだものである場合にその中から一つの言明を抽出するのはやはり一つの早わざである。観察者
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