心をするということはおよそ近代的でないらしい。
暴風の跡の銀座《ぎんざ》もきたないが、正月|元旦《がんたん》の銀座もまた実に驚くべききたない見物《みもの》である。昭和六年の元旦のちょうど昼ごろに、麻布《あざぶ》の親類から浅草《あさくさ》の親類へ回る道順で銀座を通って見たときの事である。荒涼、陰惨、ディスマル、トロストロース、あらゆる有り合わせの形容詞の総ざらえをしても間に合わない光景である。いつもは美しく飾り立てた小売り店の表には、実に見すぼらしい明治時代の雨戸がしめてある。大商店のショウウィンドウにははげさびた鎧戸《よろいど》か、よごれた日除幕《ブラインド》がおりている。死に物狂いの大晦日《おおみそか》の露店の引き上げた跡の街路には、紙くずやら藁《わら》くずやら、あらゆるくずという限りのくず物がやけくそに一面に散らばって、それがおりからのからび切った木枯らしにほこり臭い渦《うず》を巻いては、ところどころの風陰に寄りかたまって、ふるえおののきあえいでいるのである。言わば白粉《おしろい》ははげ付け髷《まげ》はとれた世にもあさましい老女の化粧を白昼烈日のもとにさらしたようなものであったの
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