によっては去年の事が十年前のようにも思われる。ひとつながりの記憶の蛇形池《サーペンタイン》の中で「記憶の対流《コンヴェクション》」とでもいったようなものが行なわれるらしい。
第三線にはかなりの幅がある。自分が世間に踏み出してからの全生涯《ぜんしょうがい》がこの線の中に含まれているからである。そうしてこの線を組織するきわめて微細な繊維のようになった自分の「銀座《ぎんざ》線」とでもいったようなものがあり、これが昔の※[#二分ダーシ、1−3−92]※[#二分ダーシ、1−3−92]の中の銀座の夢につながっているのである。この※[#二分ダーシ、1−3−92]※[#二分ダーシ、1−3−92]の中では銀座というものが印象的にはかなり重要な部分を占めていた、それの影響が後年の――の中の自分の銀座観に特別の余波を及ぼしていることはたしかである。
震災以後の銀座には昔の「煉瓦《れんが》」の面影はほとんどなくなってしまった。第二の故郷の一つであったIの家はとうの昔に一家離散してしまったが家だけは震災前までだいたい昔の姿で残っていたのに今ではそれすら影もなくなってしまい、昔|帳場格子《ちょうばごうし》から
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