の好い音を出す。軟らかい緑の茎に紫色の隈取《くまど》りがあって美しい。なまで噛むと特徴ある青臭い香がする。
年取った祖母と幼い自分とで宅の垣根をせせり歩いてそうけ[#「そうけ」に傍点](笊《ざる》)に一杯の寒竹を採るのは容易であった。そうして黒光りのする台所の板間で、薄暗い石油ランプの燈下で一つ一つ皮を剥《は》いでいる。そういう光景が一つの古い煤けた油画の画面のような形をとって四十余年後の記憶の中に浮上がって来るのである。自分の五歳の頃から五年ほどの間熊本|鎮台《ちんだい》に赴任したきり一度も帰らなかった父の留守の淋しさ、おそらくその当時は自覚しなかった淋しさが、不思議にもこの燈下の寒竹の記憶と共に、はっきりした意識となって甦って来るのである。
虎杖《いたどり》もなつかしいものの一つである。日曜日の本町《ほんまち》の市で、手製の牡丹餅《ぼたもち》などと一緒にこのいたどりを売っている近郷の婆さんなどがあった。そのせいか、自分の虎杖の記憶には、幼時の本町|市《いち》の光景が密接につながっている。そうして、肉桂酒《にっけいしゅ》、甘蔗《さとうきび》、竹羊羹《たけようかん》、そう云ったよう
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