の樹の実を尋ねて飛んで来る木椋鳥《こむくどり》の大群も愉快な見物であった。「千羽に一羽の毒がある」と云ってこの鳥の捕獲を誡《いまし》めた野中兼山《のなかけんざん》の機智の話を想い出す。
公園の御桜山《おさくらやま》に大きな槙《まき》の樹があってその実を拾いに行ったこともあった。緑色の楕円形をした食えない部分があってその頭にこれと同じくらいの大きさで美しい紅色をした甘い団塊が附着している。噛み破ると透明な粘液の糸を引く。これも国を離れて以来再びめぐり逢わないものの一つである。
旧城のお濠《ほり》の菱《ひし》の実《み》も今の自分には珍しいものになってしまった。あの、黒檀《こくたん》で彫刻した鬼の面とでも云ったような感じのする外殻を噛み破ると中には真白な果肉があって、その周囲にはほのかな紫色がにじんでいたように覚えている。
公園と監獄、すなわち、今の刑務所との境界に、昔は濠があった。そこには蒲《がま》や菱が叢生《そうせい》し、そうしてわれわれが「蝶々|蜻蛉《とんぼ》」と名付けていた珍しい蜻蛉が沢山に飛んでいた。このとんぼはその当時でも他処《よそ》ではあまり見たことがなく、その後他国ではどこでも見なかった種類のものである。この濠はあまり人の行かないところであった。それが自分の夢のような記憶の中ではニンフの棲処《すみか》とでも云ったような不思議な神秘的な雰囲気につつまれて保存されているのである。帰省してこの濠のあったはずの場所を歩いてみても一向に想い出せないような昔の幻影が、かえって遠く離れた現在のここでの追憶の中にありありと浮んで来るのである。
これらの樹の実の記憶には数限りもない少年時代の生活の思い出がつながっている。そうしてこれらの自然界とつながっているものほどその思い出の現実性が深いように思われるのである。
交通の発達につれて都会と田舎の距離は次第に短縮する。今ではたいていの田園の産物もデパートの陳列棚で見られるのであるが、それでもまだ楊梅や寒竹の筍は見られない。菱や色々の樹の実は土佐に限らぬものであろうが、しかしこれらの都会の食味の中に数えられないためか、どこでも手に入れることが出来ない。そういうものが食物になり得るという事さえ都会の子供等は夢にも知らないのである。考えてみると可哀相なような気がする。
滞欧中のある冬にイタリアへ遊びに行った。ローマの大学を訪ねたとき、物理学教室の入口に竹の一叢《ひとむら》を見付けてなつかしい想いをした。その日の夕方、ホテルの食堂で食事のあとに出した菓物鉢の数々の果物の中にただ一つ柿の実がのっかっていた。同時に食事していた客の誰よりも真先に自分のところへこの菓物鉢が廻って来たので、自分は遠慮なくこのただ一つの柿を取上げた。少しはしたないような気はしたが、天涯の孤客だからと自分で自分に申し訳を云った。このローマの宿の一顆《いっか》の柿の郷土的味覚はいまだに忘れ難いものの一つである。
味覚の追憶などはあまり品の好い話ではないようである。しかしそれだけに原始的本能的に深刻な真実性をもっている。そうしてその背後にはやはり自分の一生涯の人間生活の記録が隠されているのである。[#地から1字上げ](昭和七年二月『郷土読本』)
底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
1996(平成8)年12月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2004年3月24日作成
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