込んであった包み紙やひもや名あて札をもう一ぺん検査して見た。ひもにはりつけた赤い紙片の上にはってある切手の消印を読もうとして苦しんでいたが、消印はただ輪郭の円形がぼんやり見えるだけであった。「実に無責任だなあ」郵便局に対する不平を口の内でつぶやきながら、空虚な円の中から何かを見いだそうとして、ためつすがめつながめていた。
 失望の後に来る虚心の状態に帰って考えてみると、差出人のおおよその見当は、もう小包を手にした瞬間からついていたのであった。郷里にいる二人の姉のいずれかよりほかに、こういう物を送って来そうな先は考えられなかった。去年の秋K市の姉から寒竹の子を送ってくれた事、A村の姉からいつか茶の実をよこした事などが思い出された。そう言えば前にも今度と同じような鬱金木綿《うこんもめん》の袋へ何かはいって来た事も思い出したが、あいにくそれがどちらの姉だったか思い出せなかった。
 あて名の手跡は二人の姉のとはまるでちがっていた。しかし、二人ともにそうだが、ことにK市の姉はよく孫のだれかに手紙の上封などをかかせる事があるからと思って、戸棚《とだな》の中から古手紙の束を出して来て、いくつかの姉の手紙を拾い出して比べて見た。
 K市の姉からのあて名の手跡の或《あ》るものは小包のと似ているように思われた。たとえば「東」の字や、ことに「様」のつくりの格好がよく似ていた。しかしまたよく見ると「町」の字などはかなり著しくちがっていて、全く同人の手であるとは断定しにくいようなところがあった。一方でA村の姉のはほとんど自筆で、たまに代筆があっても手跡は全くちがっていてこのほうはほとんど問題にならなかった。
「まだ研究していらっしゃるの。……あなたもずいぶん変なかたねえ。いまに手紙かはがきが来ればわかるじゃありませんか。」
 台所から出て来た細君は彼が一心に手跡を見比べているのを見て、じれったがって、こう言った。
「手紙のほうが小包よりさきに来そうなものだが。」
「だって、そりゃあ、……あとから来る事だってあるじゃありませんか。」
「……この『様』の字をちょっと比べて見てくれ。どうも同じ手だと思うんだが……。」
「ええ、そうですよ。……きっとそうですよ。」
 めんどうくさくなった細君は無責任な同意を表しはしたが、それでも堅吉はいくらか安心したらしく、散らかした手紙をそろそろ片付けていた。
 K市の姉からだとすると、一つ思い当たる事があった。彼女が去年まで家を貸してあった中学教師のスイス人が毎年いろんな草花を作っていた。半分は楽しみであったろうが半分は内職にしているらしいという事であった。なんでも草花の種や球根を採ってはY港のある商館へ売り込みに行くらしかった。その西洋人が去年シャンハイへ転じて行く時に、姉の貸し家の畑へ置きみやげにいろいろなものを残して行っただろうという事は、きわめてありそうな事である。それがことしたくさん蕃殖《はんしょく》したのでこちらへも分けてよこしたものだろう。
 そう考えると堅吉の頭の中が急に明るくなるような気がした。同時にこの球根がなんだという事もはっきりわかったような気がした。「そうだ、フリージアだ。フリージアに相違ない。」
 彼の意識の水平線のすぐ下に浮いたり沈んだりしていたこの花の名が急にはっきり浮き上がって来た。それと同時に彼は始めに小包をひらいてこの球根を見た瞬間から、すでにもう「フリージア」という名がすぐ手近な所に隠れていたように思われだした。意識の深い奥のほうからこれが出よう出ようとするのを、不思議な、ほとんど無自覚な意志の力で無理に押えていたのだというような気がした。
 なぜ「フリージア」という名が突然に現われたか。それには積極的と消極的と二つの理由があった。第一前に言ったスイス人がいろいろの花のうちでもなかんずくたくさんにこの花を作っているという事を姉から聞いていた。その時に姉がこの名を妙な発音で言った事も彼に特殊な印象を強めたのであった。それでこの名がこの西洋人と球根という組み合わせに密接な連合をしていたのであった。もう一つの消極的な理由はこうである。
 堅吉は二三年前に今の家に引っ越してから裏庭へ小さな花壇のようなものを作って四季の草花などを植えていた。去年の秋は神田の花屋で、チューリップと、ヒアシンスと、クロッカスとの球根を買って来て、自分で植えもし、堀り上げもしたので、この三つのものはよく知っていた。そのほかにまだグラジオラスの根やアネモネの根もずっと前に見た記憶があった。これに反して、偶然な回り合わせでフリージアの根だけはまだ見た事がなかったのであった。これまで花屋で鉢植《はちう》えの草花などを買う時に、この花は始終に目をつけていたにかかわらず、いざ買うとなると、どういうものか、自分にはわからない不
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