学問の自由
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)纏《まと》まり

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](昭和八年九月『鉄塔』)
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 学問の研究は絶対自由でありたい。これはあらゆる学者の「希望」である。しかし、一体そういう自由がこの世に有り得るものか、どの程度までそれが可能であるか、またその可能限度まで自由を許すことが、当該学者以外の多数の人間にとって果していつでも望ましい事であるか。こういう問題を、少し立入って考究し論議するとなると、事柄は存外複雑になって来て、おそらく、そうそう簡単には片付けられないことになるであろう。あるいは結局いつまで論議しても纏《まと》まりの付かないような高次元の迷路をぐるぐる廻るようなことになるかもしれない。
 こういう疑いは、問題の学問が、複雑極まる社会人間に関する場合に最も濃厚であるが、しかし、外見上人間ばなれのした単なる自然科学の研究についても、やはり起こし得られる疑問である。
 科学者自身が、もしもかなりな資産家であって、そうして自分で思うままの設備を具えた個人研究
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