、面白いことには、学者によってはこの狭い天地の中でさも愉快そうに自由自在に活動して立派な成果を収めて人を驚かすことがあるようである。一皿の水を化して大海とするのである。
政府の所属で、各種科学の特殊な専門的題目の研究所として看板をかけた処では、比較的にいくらか自由である。しかし、例えば蚯蚓《みみず》の研究所で鯨の研究をやりたいといったような場合には、ともかくも一応上長官の諒解を得るために、その研究の結果がその研究の目的に直接適合する所以《ゆえん》を説明して許可を得るのが穏当である。上長官がよほどの人でない限りあまり勝手な事は許されないであろう。これも理屈はともかくこの世の事実である。
営利会社の内部に設けられた研究室の研究員も、大体において、その会社に有利な結果の出そうな研究をするのが普通である。尤も、大戦前のドイツのある化学工業会社などでは、常に数十人の学者を養って、それに全く気儘な研究をさせたという話である。五十人の研究の中でただの一つでも有利な結果が飛び出せば、それから得られる利益で、学者の五十人くらい一生飼い殺しにしても、なお多大の収益があるからとのことであった。戦後の世智
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