とに対する非難のあったときには、必ずどこかにはあるにきまっている弱味と欠点を指摘し強調すれば一応の申訳は立つであろうし、また及第させたことを責める人があった場合には、これも必ずあるにきまっている長所と美点を示揚し讃美すればそれで始末がつくのである。そういうものであるからこそ学位の売買といったようなことも可能になるのである。
 結局は、やればやり得る学位を、無用な狐疑《こぎ》や第二義的な些末な考査からやり惜しみをするということが、こういう不祥事やあらゆる依怙沙汰《えこざた》の原因になるのである。たとえ多少の欠点はあるとしても、およそ神様でない人間のした事で欠点のないものは有り得ないことはあまりにも明白なことであるから、それよりも仕事の長所と美点を明白に認識して、それに対して学位を授けるということにすれば事柄はよほど簡単になるであろうと思われる。学位論文として著者が自信をもって提出するほどのものでなんらか斯学に貢献するポイントをもたないようなものは極めて稀であろうと思われるのである。あらを拾えば切りはない。あらはないが何の取《と》り柄《え》もない論文は百あっても学問は進まないであろう。
 
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