くらでもあるが、時間と金との欠乏を考えるために、めったに買って読む事はない。ただいろいろの学者の名前と本の名前をひとわたり見るだけで満足する場合が多い。だれかが「過去の産出物の内で、目に見られ、手に触れる事のできる三つのもの」の一つとして書物を数えているが、この言葉をここでしばしば思い出す。そして書物に含まれているものは過去ばかりではなくて、多くの未来の種が満載されている事を考えると、これらのたくさんの書物のまだ見ぬ内容が雲のようにまた波のように想像の地平線の上に沸き上がって来る。その雲や波の形や色が何であってもそれはかまわない。ただそれだけで何かなしに自分の目は遠い所高い所にひきつけられる。考えてみると自分も結局は一種の偶像崇拝者かもしれない。しかしこんな偶像さえも持たなかったら自分はどんなにさびしい事だろう。
 P君は moral という文字と ethics という言語に対して不思議な反感をいだいている。そしてこれに相当する日本語に対してはいっそうはげしいほとんど病的かと思われるほどの嫌悪《けんお》を感じるようである。それで自分は丸善の書棚《しょだな》でこの二つの文字を見るとよくP
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