ス、花だって貧弱なのばかりじゃないかと言った人もある。

 丸善から三越へ回って帰る時には、たいていいつも日本銀行まで歩いてそこから外濠線《そとぼりせん》に乗る。どうかして電車がしばらく来ない時には、河岸《かし》の砂利置場《じゃりおきば》へはいってお堀《ほり》の水をながめたり呉服橋《ごふくばし》を通る電車の倒影を見送ったりする。丸善の二階で得たいろいろな印象や、三越で受けたさまざまな刺激がこの河岸の風に吹かれて緊張のゆるんだ時に、いろいろの変わった形や響きになって意識の上に浮かび上がって来る。かねてから考えている著書を早く書き初めなければならぬと思う事もある。あるいは郷里の不幸や親戚《しんせき》に無沙汰《ぶさた》をしている事を思い出す事もある。
 しかしまた時として向こう河岸《がし》にもやっている荷物船から三菱《みつびし》の倉庫へ荷上げをしている人足の機械的に動くのを見たり、船頭の女房が艫《とも》で菜の葉を刻んだり洗ったりするのを見たり、あるいは若芽を吹いた柳の風にゆらぐのを見たりしていると、丸善だとか三越だとかいうものが世にもつまらない無用の長物だという気がする時もある。
 電車に乗
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