フ読み物にしてもどれをあけて見ても中は同じである。そして若い柔らかい頭の中から、美に対する正しい感覚を追い出すためにわざわざ考案されたような、いかにもけばけばしい、絵というよりもむしろ臓腑《ぞうふ》の解剖図のような気味の悪い色の配合が並べられている。このような雑誌を買う事のできないほどに貧乏な子供があれば、その子は少なくもこの点で幸福であるかもしれない。なんというオリジナリティのない不健全な出版界だろう。
 階下の日本書や文房具の部は、たいていもうくたびれてしまって、見ないですます事が多い。それにこのほうは、むしろ神田《かんだ》あたりで別な日に見るほうがいいという気がするので、すぐに表の通りへ出てしまう。そして大通りの風に吹かれると、別の世界に出たような心持ちになってほっとするのが通例である。
 丸善を出てから銀座のほうへぶらぶら歩いて行く事もあるが、また時々|三越《みつこし》へ行く事がある。
 白木屋《しろきや》のへんから日本橋を渡って行く間によく広重《ひろしげ》の「江戸百景」を思い出す。あの絵で見ると白木屋の隣に東橋庵《とうきょうあん》という蕎麦屋《そばや》がある。今は白木屋の階上
前へ 次へ
全33ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング