たぶんこの画家の名前がおかしいから笑っただけだろうが、自分はあの時どうしてあんな気がしたのだろう。こんな感じのする人はほかには少ないかもしれない。しかしよく考えてみると、自分は自分の手近な「義務」とあまり直接の関係のないあらゆる享楽を味わう時には、たとえその事自身が卑近な感覚的なものでなくてもなんだか一種の不安を感じる場合が多い。いつか田舎《いなか》から出て来た親戚《しんせき》の老婦人を帝劇へ案内して菊五郎《きくごろう》と三津五郎《みつごろう》の舞踊を見せた時に、その婦人が「あまりおもしろくて、見ているうちに、私はこんなにおもしろくてもいいのかしらんと思って、なんだかそら恐ろしくなりました」と言った。この婦人はずいぶん人生の不幸をなめ尽くしたような人であったから、特にそう思われたのかもしれない。しかしこの一例から考えても、同じような経験は存外多くの人に共通なものかもしれない。ウィリアム・ジェームスの心理学の中に「音楽の享楽にふける事でさえも、その人が自分で演奏者であるか、あるいはその音楽を純理知的に受け入れるほどに音楽的の天賦を有するのでなければ、その人の人格をゆるめ弱めるという結果を
前へ 次へ
全33ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング