ったかこの仏書の所でフランスの飛行将校が小説か何かをひやかしているのを見かけた事がある。その時ただなんとなしにいい気持ちがした。この将校の顔から髪から髯《ひげ》からページを繰る手つきから、大きく肥《ふと》った指先までが、その書物と自然に調和して全体が一つのまとまった絵になっていた。今の日本の書物はどことなくイギリスやアメリカくさいところがある、そして昔の経書や黄表紙がちょんまげや裃《かみしも》に調和しているように今の日本人にはやはりこれがふさわしいような気がする。
 フランスの文学美術書が科学書といっしょに露店式に並べてある所がある、シャバンヌやロダンが微分積分と雑居してそれにずいぶんちりが積もっている事もある。それはいいがその隣にガラスの蔽蓋《おおいぶた》をして西洋向きの日本書を並べたのがある。あれを見ると自分はいつでもドイツで模造した九谷焼《くたにや》きを思い出す。
 自分の専門に関係した科学の書籍をあさって歩く時の心持ちは一種特別なものである。まじめであると同時に at home といったような心持ちであるが、しかしそこには自分の頭にある「日曜日の丸善」というものが生ずる幻影はなくてむしろ常住な職業的の興味があるばかりである。
 英米の新刊書を並べた露店式の台が二つ並んでいる。ここをのぞいて見ると政治、経済、社会その他あらゆる方面にわたって重大な問題を取り扱ったらしい書物が並んでいる。ロイドジョージとかウィルソンとかいう名前が目につく。そうかと思うと飛行機の通俗講義があったり探偵小説《たんていしょうせつ》があったり、ヘッケルの「宇宙のなぞ」の英訳の安値版がころがっていたりする。この露店の所へ来ると自分の頭が急に混雑してあまり愉快でない一種の圧迫を感じる。そして自分の日曜日の世界とはあまりにかけ離れた争闘の世界をのぞいて見るような気がして、つい落ち着いて見る気になれない。また実際ここはいつでも人が込み合っていてゆるゆる見ていられないのである。考えてみると近ごろ世間で騒がしくなって来たいろいろな社会上の問題が一部の人の信ずるようにおもに外国から流れ込んで来たとすると、そのような問題や思想の流れ込んだ少数な樋口《といぐち》の内でも大きなのはこの丸善の方数尺の書籍台であるかもしれない。それにしてはあまりに貧弱な露店のような台ではあるが、しかし熱海《あたみ》の間歇泉《か
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