与えた事も思い出される。あのころには書物の値段は正札でなく一種の符徴でしるしてあった。もっともその符徴はたいていだれでも知っていたので、秘密の暗号でもなんでもなくただ数字の代わりにかたかなを使ったというだけのものであった。たとえばアンカナというのは一円二十五銭の事であったが、これが自分の頭によく残っている。イタリアの地名のようだと思った事があるからそのせいだか、あるいはこの符号のついた本を比較的に多く買ったためだか、とにかくこのアンカナの四字が丸善その物の象徴のように自分の脳髄のすみのほうに刻みつけられている。
 昔の丸善の旧式なお店《たな》ふうの建物が改築されて今の堂々たる赤煉瓦《あかれんが》に変わったのはいつごろであったか思い出せない。たぶん自分が二年ばかり東京にいなかった間の事であろうと思う。元の薄暗い窮屈な室《へや》に比べて、天井の高い窓の多い今の二階の室は比較にならないほど明るく気持ちがいい。しかし自分にはどういうものか昔の陰気なほうが、少なくも自分の頭に巣くっている「丸善」という観念にはふさわしい。今の室はあまりに明るくあまりに楽に広々としているためにそこに陳列された書物が普通のデパートメントストアの商品のような感じがしないでもない。これに反して以前の窮屈な室へはいった時には、なんとなく学者の私有文庫を見せてもらうような気がした。これは、ある友人が評したように、つまり自分の頭が旧式であって、書物とその内容を普通の商品と同様に見なしうるほどに現代化し得ないためかもしれない。
 いろいろの理由からいわゆる散歩という事に興味を持たない自分の日曜日の生活はほとんど型にはまったように単調なものである。昼飯をすませて少し休息すると、わずかばかりの紙幣を財布《さいふ》に入れて出かける。三田《みた》行きの電車を大手町《おおてまち》で乗り換えたり、あるいはそこから歩いたりして日本橋《にほんばし》の四つ角《かど》まで行く。白木屋《しろきや》に絵の展覧会でもあるとはいって見る事もあるが、大概はすぐに丸善へ行く。別にどういう本を買うあてがあるわけではないが、ただ何かしら久しぶりで仲のいい友だちを尋ねて行く時のような漠然《ばくぜん》とした期待をいだいて正面の扉《とびら》を押しあける。
 正面をはいった右側に西洋小間物を売る区画があるが自分はついぞここをのぞいて見た事がない。どうい
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