は真実を曲げた嘘の写真であるが、心理的には却って真実に近くなるという場合もあるかもしれない。
 画家のいわゆるデッサンが正しいとか正しくないとかというものも、やはりこういう意味で心理的に真実な描写をするという意味らしく思われる。これを極端までもって行くとカリカチュアが一番正確な肖像画になる勘定である。
 これに聯関して思い合わされることは、人の容貌の肖似《しょうじ》ということについての人々の考えの異同である。例えば、甲某の眼にはA某とB某とが、よく似ているように見える。
 ところが、乙某に云わせると、ちっとも似ていないじゃないかと云う。これは甲と乙とで着眼点がちがうためだと云えばそれまでである。すなわち甲にとってはAとBとの二人の顔の中で、例えば眼だけが注意の焦点となるのに、乙には眼はそんなに問題にならないで口許が特に大切な特徴となって印象される、という場合がそれである。しかしまたこういうこともあり得る。すなわち甲はAの眼を少し大きく見過ぎている代りにBの眼を少し小さく見過ぎている、そのために実際はかなりちがった大きさと形をしたABの眼が似ているように思われるということも可能である。

前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング