おそらく莫大なものであろうと思われた。ちょっと見積もっても数千という数であろうと思われる。
この群れはどこの池沼で発生して、そうしてどこを目ざして移住するのか。目的地の方向を何で探知するか。渡り鳥の場合にでも解釈のつきにくいこれらの問題はこのいっそう智能の低い昆虫の場合にはいっそうわかりにくそうである。
二匹ずつつながっているのが、それぞれ雌雄のひとつがいだとすると、彼らの婿《むこ》選み嫁《よめ》選みがいかにして行なわれるか。雌雄の数が同一でない場合に配偶者をもとめそこねた落伍者《らくごしゃ》の運命はどうなるか。
こうした問題が徹底的に解かれるまでは人間の社会学にもまだどんな大穴が残され忘れられているかもしれないであろう。
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省線電車渋谷駅の人気者であった「忠犬」の八公《はちこう》が死んだ。生前から駅前に建立《こんりゅう》されていたこの犬の銅像は手向《たむけ》の花環に埋もれていた。
たかが犬一匹にこのお祭り騒ぎはにがにがしい事だと言ってむきになって腹を立てる人もあった。
しかし、これがにがにがしければすべての「宗教」はやはりにがにがしく腹立たしいものでなければならない。
ある日上野の科学博物館裏を通ったら、隣の帝国学士院の裏庭で大きな白犬の写真を撮っていた。犬がちっとも動かないでいつまでもじっとしておとなしくカメラのほうを見つめている、と思ったら、そばに立っていた人がひょいとその胴をかかえて持ち上げ、二、三歩前のほうへ位置を変えたのでそれが剥製《はくせい》だとわかった。写真師のそばに中年の婦人が一人立っていた。片手を頬にあてたままじっと犬のほうを見ていた。
翌朝新聞を見るとこの犬の写真が出ていた。やはりそれが八公であったのである。
この剥製の写真を撮っている光景を見たときにはやはり自分の胸の中にしまい忘れてあった「宗教」がちょっと顔を出した。[#地から1字上げ](昭和十年六月十二日)
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親がつけてくれた名が気に入らなくなって改名する人がある。姓名判断という迷信的な俗説を信じて改名するのはまた別であるが、そうでなくて改名する人にはおのずから共通な性質があるような気がする。あえて弱点というほどではないがとにかく若干の人のよさがあるような気がする。
自分の知った人で非常に珍しい姓があった。おまけに名まで変っているのであったが、その人は快活で無頓着《むとんじゃく》な性質で自分の姓名の変なことなど意に介しないように見えた。ところがその人の子供が小学校へはいるころになって重大な問題がその名字にからんで起こって来た、と言うのは、その子が学校でみんなにその名前をからかわれ笑われるのをひどく気にして学校がいやになり気持ちがだんだんひがんで来た。そうして、そのためだかどうだか、そこまではだれにもわからないが、とにかくまもなく病死してしまった。その後その子の父は郷里へ帰って家系に関する徹底的の調査をして、何かしら適当の理由らしいものを捜し出し、それを申し立ててやっとの事で革姓の手続きを済ますことができた。
これで思い出すのは、昔|紅葉山人《こうようさんじん》の書いた何かの小品の中に、物好きな父親がその女の子におさるという名をつけた話があったように思う。妙齢《みょうれい》になってしかも人並みすぐれて美しい娘を父親が人前でおさるおさると呼び立てた、というのである。その結果がどうなったかは忘れてしまった。
電車の運転手や車掌には実際変った姓名が多いようである。しかし、これが、異った姓名の人は車掌や運転手になる確率が多いという証拠にはならない。たとえば一方には車掌運転手の名簿、一方には帝国大学生の名簿を置いて比較統計を取ってみなければならない。しかしそうなると「変った姓」と「変っていない姓」とを分類する標準が非常にむつかしくなってちょっと手がつけにくい仕事になるであろうと思われる。
しかし、変った姓はしかたがないとして、断然変った名の持ち主百人と、常識的にちっとも変っていないと判断される名の持ち主百人とを選び出して、その当人は問題とせず、それらの人々の父親について、その社会的地位階級、教育の程度、趣味の品別等について統計してみたら、あるいは多少の差別が認められはしないかという気がする。
もし多少でもそうであったとしたら、父の差別が子の差別に多少でも反映していないとも限らないと考えられるのである。
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木蓮
白木蓮《はくもくれん》は花が咲いてしまってから葉が出る。その若葉の出はじめには実にあざやかに明るい浅緑色をしていて、それが合掌したような形で中天に向かって延びて行く。ちょうど緑の焔をあげて燃ゆる小蝋燭《ころうそく》を点《とも》しつらねたようにも見える。
紫木蓮《しもくれん》は若葉のにぎやかなイルミネーションの中からはでな花を咲かせる。濃い暗いやや冷たい紫のつぼみが破《わ》れ開いて、中からほんのり暖かい薄紫の陽炎《かげろう》が燃え出る。そうして花の散り終わるまでにはもう大きな葉がいっぱいに密集してしまう。
桜でも染井吉野《そめいよしの》のように花が咲いてしまってから葉の出るような種類が開花のさきがけをして、牡丹桜《ぼたんざくら》のような葉といっしょに花をもつようなのが、少しおくれて咲くところを見ると、これには何か共通な植物生理的な理由があるらしい。
人間でもなんだか、これに似た二種類があるような気がするが、何が「花」で何が「葉」だかが自分にはまだはっきりわからない。
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学会
いろいろの学会にはいっている。すすんで入会したのもあり、いつのまにか入れられていたのもあり、また強いてはいらされたのもある。数にしたら二十近い会の会員になっている。
学会にはそれぞれ例会や総会がある。それに一々出席していたらきりがないからたいてい出ないことにしている。
どうも日本人はいろいろな会をこしらえることの好きな国民ではないかという気がする。
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琴
学生時代には本郷へんの屋敷町を歩いているとあちらこちらの垣根の中や植え込みの奥から琴の音がもれ聞こえて、文金高島田《ぶんきんたかしまだ》でなくば桃割れ銀杏返《いちょうがえ》しの美人を想像させたものであるが、昨今そういう山の手の住宅区域を歩いてみても琴の音を聞くことはほとんど皆無と言ってもいいくらいである。そのかわりにピアノの音のする家が多くなったが弾いている曲はたいてい初歩の練習曲ばかりである。まっ黒な腕と足を露出したおかっぱのお嬢さんでない弾き手を連想するのは骨が折れるようである。
たまにいい琴の音がすると思ってよく聞くとそれはラジオである。
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漫画
新聞の日曜附録の一ページに大掃除を題材にした漫画がいろいろ出ている中に岡本一平《おかもといっぺい》氏のがある。おかっぱ洋装の孫娘がお祖母《ばあ》さんとバタ入れとにほこりがかからないようにと大きな鶏籠のようなものをすっぽりかぶせておいたのをおかあさんが見つけて驚いて籠を引き起こしている図である。おばあさんはおとなしくバタ入れといっしょに小さくなって籠の下に収まって何かむしゃむしゃ食べている。孫娘のほうは平気にほがらかにあちらを向いてはたきをふるっているのである。
ほかにも数々の漫画があるが、どうもただ表面だけふざけていて中味の何もないのが多いようである。一平氏のには、多くの場合にそうであるように、おかしみの底に人情味が流れていて噛みしめるとあわれがにじみ出す。この漫画なども、現代の家庭における老祖母と主婦と孫娘との三角関係を心理的に描写し尽くして余すところがないような気がする。その真実性の中からおかしみも美しさもあわれも生まれてくるのであろう。
ただ一枚の漫画でもこういうのを朝食時に見ると、その日一日ぐらいは自分の心情の上に何かしらよい効果を残すように思われる。
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笑い声
初夏のある日友人と京橋近くの七階楼上で昼飯を食った。すがすがしい好晴の日で食卓から見下ろす銀座方面のながめははればれと明るくいきいきと美しいものであった。一隅の別室からにぎやかな爆笑が間歇的《かんけつてき》に聞こえて来る。その笑声から判断すると、どうしても女学校の生徒の集会らしい。食卓を囲む制服を着たおさげやおかっぱの一団を想像させた。
席を立って帰りがけに開け放したその別室をのぞいて見ると、意外にもそれは「制服の処女」たちではなくて、みんなもう三十前後の立派な奥さんたちの集会であった。
奥さんたちの笑い方と女学生の笑い方とはたしかに区別があるはずである。それだのに別室で聞いた笑声はどうしても十五、六、七、八の女生徒の集団にのみ聞かれる笑声であった。
やはりどこかの女学校の第何回卒業同窓会であろうと思われた。同窓の顔が寄り合った機会に彼女たちの十余年昔の笑いが復活したのではないかと思われて、なんとなくほほえましい気持ちのしたのはあながち青葉時の好晴の天気のせいでもなかったようである。
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講演の口調
ラジオなどで聞くえらい官吏《かんり》などの講演の口調は一般に妙に親しみのないしかつめらしい切り口上が多くてその内容も一応は立派であるがどうも聴衆の胸にいきなり飛び込んで来るようなものが少ない。
ある会議の席上である長官がある報告をするのを聞いていたとき、ふと前述の講演のタイプを想い出した。
長官はその属僚の調べ上げてこしらえた報告書を自分のものにして報告しなければならない。それで文句はわかってもその内容は実はあんまり身にしみていないらしいので、それでああいう口調と態度とが自然に生まれるのではないかという気がした。
これに反して、文士でも芸術家ないし芸人でも何か一つ腹に覚えのある人の講演には訥弁《とつべん》雄弁の別なしに聞いていて何かしら親しみを感じ、底のほうに何かしら生きて動いているものを感じるから妙なものである。
学者の講演でもやっぱり同じようなことがあるようである。
空腹はなかなか隠せないものらしい。
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不審紙
子供の時分に漢籍など読むとき、よく意味のわからない箇所にしるしをつけておくために「不審紙《ふしんがみ》」というものを貼り付けて、あとで先生に聞いたり字引きで調べたりするときの栞《しおり》とした。
短冊形《たんざくがた》に切った朱|唐紙《とうし》の小片の一端から前歯で約数平方ミリメートルぐらいの面積の細片を噛み切り、それを舌の尖端に載っけたのを、右の拇指の爪《つめ》の上端に近い部分に移し取っておいて、今度はその爪を書物のページの上に押しつけ、ちょうど蚤《のみ》をつぶすような工合にこの微細な朱唐紙の切片を紙面に貼り付ける。この小紙片がすなわち不審紙である。不審の箇所をマークする紙片の意味である。噛み切る時に赤い紙の表を上にして噛み切り、それをそのまま舌に移し次に爪に移して貼り付けるとちょうど赤い表が本のページで上に向くのである。朱唐紙は色が裏へ抜けていなかったから裏は赤くなかったのである。
そのころでもすでに粗製のうその朱唐紙があって、そういうのは色素が唾液《だえき》で溶かされて書物の紙をよごすので、子供心にもごまかしの不正商品に対して小さな憤懣《ふんまん》を感じるということの入用をしたわけである。
不審が氷解すればそこの不審紙を爪のさきで軽く引っ掻いてはがしてしまう。本物の朱唐紙だとちっともあとが残らない。
中学時代にはもう不審紙などは使わなかった。そのかわりに鉛筆や紫鉛筆でやたらにアンダーラインをしたり、?や!を書き並べて、書物をきたなくするのが自慢であるかのような新習俗に追蹤《ついしょう》してずいぶん勉強して多くの書物を汚損したことであった。
それはとにかく、日本紙に大きな文字を木版刷りにした書物のページに、点々と真紅の不審紙を貼り付けたものの視像を今でもありあ
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