催された。いろいろおもしろいものが陳列されている中に、伊藤博文公夫人が公の愛用のシガーのバンドをたくさんに集めて、それを六枚折り(?)の屏風《びょうぶ》に貼り込んだのがある。古切手を貼った面とこのバンドを貼った面とが交互になっている。
こういうたんねんな仕事に興味をもつ夫人をもっていたということが、あの伊藤公の生涯にやはりそれだけの影響を及ぼしたのかもしれないと思った。
明治節の朝、朝香宮《あさかのみや》妃殿下の薨去《こうきょ》が報ぜられた。風が寒かったが日は暖かであった。上野から省線で横浜へ行って山下町《やましたちょう》の海岸のプロムナードで「汽船のいる風景」をながめた。このへんのいろいろなビルディングにいろいろな外国の国旗が上がっている。その中で、とある建物に上がっている米国の国旗だけが半旗として掲げられている。これが他の国旗ならなんとも思わないであろうが、米国旗であるだけにそれが妙にいろいろな複雑な意味のあるように思われてしかたがなかった。[#地から1字上げ](昭和八年十二月、渋柿)
[#改ページ]
曙町より(十八)
このごろ朝が寒いので床の中で寝たままメリヤ
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