るようである。
 クローズアップのガルボの顔のいろいろの表情を交互に映出するしかたなどでもかなりうまい。
 言わばそこにほんとうの「表情の俳諧」があるように思う。
 一度御覧いかがや。ついでながらこのガルボという女はどこか小でまりの花の趣もあると思うがこの点もいかがや。
 新劇「レ・ミゼラブル」は、見ないけれども、おそらくたった一口で言えるようなスローガンを頑強にべたべたと打ち出したものかと思う。
 少なくとも、これにはおそらくどこにも「俳諧」は見いだす事ができないだろう、と想像される。[#地から1字上げ](昭和六年二月、渋柿)
[#改ページ]

   曙町より(二)


 先日は失礼。
 鉄筋コンクリートの三階から、復興の東京を見下ろしての連句三昧《れんくざんまい》は、変わった経験であった。
 ソクラテスが、籠《かご》にはいって吊り下がりながら、天界の事を考えた話を思い出した。
 日が暮れた窓から、下町の照明をながめていたら、高架電車の灯《ひ》が町の灯の間を縫うて飛ぶのが、妙な幻想を起こさせた。
 自分がただ一人さびしい星の世界のまん中にでもいるような気がした。
 今朝も庭の椿《つば
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