もしれないという気もするのである。[#地から1字上げ](昭和十年十月十四日)
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 ある日電車の中で、有機化学の本を読んでいると、突然「琉球《りゅうきゅう》泡盛酒《あわもり》」という文字が頭の中に現われたが、読んでいる本のページをいくら探してもそんな文字は見つからなかった。よく考えてみると、たぶん途中で電車の窓から外をながめたときにどこかの店先の看板にでもそういう文字が眼についた、それを不思議な錯覚で書物の中へ「投げ込んだ」ものらしい。ちょうどその時に読んでいた所がいろいろなアルコールの種類を記述したページであったためにそういう心像の位置転換が容易にできたものと思われる。
 人間の頭脳のたよりなさはこの一例からでもおおよそ想像がつく。何時《いつ》幾日《いくか》にどこでこういう事に出会ったとか、何という書物の中にどういう事があったとか、そういう直接体験の正直な証言の中に、現在の例と同じような過程で途方もないところから紛れ込んだ異物が少しもはいっていないという断定は、神様でないかぎりだれにもできそうにない。[#地から1字上げ](昭和十年十月十四日)
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