気《ちゅうき》でからだの不随な老人がいて、よくかんしゃくをおこしているのを見た。家族はもうすっかり馴れっ子になってほどよくあしらっているだけである。それがまたいっそう老人の不満をつのらせるらしかった。
今度の病気で昔の中風老人たちを想い出して、この天下に普遍な家庭小悲喜劇の心理分析を試みる機会を得た。
亡友K君が眼病で手術をして一時失明したことがあった。かんしゃくが起こりはしないかと聞いたら、それどころか反対に一生懸命細君にもその他の家族にも従順にしてきげんをそこねないようにしているという。どうしてかと聞くと、もしや今家族に見放されたらたいへんだという気がして、自然にそうなるのだということであった。
自分の場合のかんしゃくは結局、病気がたいした事でないという潜在的な自覚から、いくらやんちゃを言っても家族が大丈夫|遁《に》げ出さないという自負心を獲得しているせいかもしれない。
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明治時代の青年における「星」「すみれ」の流行と近代ボーイにおけるマルキシズムのそれとはその原動力となる情熱の感傷的な点ではほとんど大差ないもののような気がする。ただ理論
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