た。
延びる盛りには一日に一尺ぐらいは延びる。
ひげのようなつるを出してつかまり所を捜している。
つるが何かに触れるとすぐに曲がり始め、五分とたたないうちに百八十度ぐらい回転する。
確かに捲きついたと思うと、あとから全体が螺旋形《らせんけい》に縮れて、適当な弾性をもって緊張するのである。
一本のひげがまた小さな糸瓜の胴中にからみついた。
大砲の砲身を針金で捲くあの方法の力学を考えながら、どうなるかと思って毎日見ていた。
いつのまにかつるが負けてはち切れてしまったが、つるのからんだ痕跡だけは、いつまでもちゃんと消えずに残っている。
棚の上にひっかかって、曲玉《まがたま》のように曲がったのをおろしてぶら下げてやったら、だんだん延びてまっすぐになって来た。
しかしほかのに比べるとやっぱりいつまでも少し曲がっている。
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ある宵《よい》の即景
名月や糸瓜の腹の片光り[#地から1字上げ](昭和二年十一月、渋柿)
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[#図5、挿し絵「へちま」]
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子猫がふざけているときに、子供や妻などが、そいつの口さきに指をもって行くと、きっと噛《か》みつく、ひっかく。自分が指を持って行くと舌で嘗《な》め回す。すぐ入れちがいに他の者が指をやると、やはり噛みつく。
どうも、親しみの深いものには噛みついて、親しみの薄い相手には舐《な》めるだけにしておくらしい。[#地から1字上げ](昭和三年一月、渋柿)
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三毛の墓
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三毛《みけ》のお墓に花が散る
こんこんこごめの花が散る
小窓に鳥影小鳥影
「小鳥の夢でも見ているか」
三毛のお墓に雪がふる
こんこん小窓に雪がふる
炬燵蒲団《こたつぶとん》の紅《くれない》も
「三毛がいないでさびしいな」[#地から1字上げ](昭和三年二月、渋柿)
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[#図6、「三毛の墓」の楽譜]
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S. H. Wainwright という学者が、和歌や俳句の美を紹介した論文の中に引用されている俳句の英訳を、俳句の事を何も知らない日本の英学者のつもりになって、もう一遍日本語にしかもなるべく英語に忠実に飜訳してみると、こんな事になる。
「いかに速く動くよ、六月の雨は、寄せ集められて、最上川《もがみがわ》に」
「大波は巻きつつ寄せる、そうして銀河は、佐渡島《さどがしま》へ横切って延び拡がる」
このごろ、よんどころない必要から、リグヴェーダの中の一章句と称するもののドイツ訳を、ちょうどこんな調子で邦語に飜訳しなければならなかった。
そうして実ははなはだ心もとない思いをしていた。
今、右の俳句の英訳の再飜訳という一つの「実験」をやった結果を見て、滑稽《こっけい》を感じると同時に、いくらか肩の軽くなるのを覚えた。[#地から1字上げ](昭和三年三月、渋柿)
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最上川|象潟《きさかた》以後
(はがき)今日《きょう》越後《えちご》の新津《にいつ》を立ち、阿賀野川《あがのがわ》の渓谷を上りて会津《あいづ》を経、猪苗代《いなわしろ》湖畔《こはん》の霜枯れを圧する磐梯山《ばんだいさん》のすさまじき雪の姿を仰ぎつつ郡山《こおりやま》へ。
それより奥羽線《おううせん》に乗り替え上野に向かう。
先刻|西那須野《にしなすの》を過ぎて昨年の塩原《しおばら》行きを想い出すままにこのはがきをしたため候《そうろう》。
まことに、旅は大正昭和の今日、汽車自動車の便あればあるままに憂《う》くつらくさびしく、五十一歳の懐子《ふところご》には、まことによい浮世の手習いかと思えばまたおかしくもある。
さるにても、山川の美しさは、春や秋のは言わばデパートメントの売り出しの陳列棚にもたとえつべく、今や晩冬の雪ようやく解けて、黄紫《おうし》赤褐《せきかつ》にいぶしをかけし天然の肌の美しさは、かえって王宮のゴブランにまさる。
枯れ芝の中に花さく蕗《ふき》の薹《とう》を見いでて、何となしに物の哀れを感じ侍《はべ》る。
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自動車のほこり浴びても蕗の薹[#地から1字上げ](昭和三年四月、渋柿)
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公園劇場で「サーカス」という芝居を見た。
曲馬の小屋の木戸口の光景を見せる場面がある。
木戸口の横に、電気人形《アウトマーテン》に扮した役者が立っていて、人形の身振りをするのが真に迫るので、観客の喝采《かっさい》を博していた。
くるりと回れ右をして、シルクハットを脱いで、またかぶって、左を向いて、眼玉を左右に動かしておいて、さて口をぱくぱくと動
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