つらねたようにも見える。
 紫木蓮《しもくれん》は若葉のにぎやかなイルミネーションの中からはでな花を咲かせる。濃い暗いやや冷たい紫のつぼみが破《わ》れ開いて、中からほんのり暖かい薄紫の陽炎《かげろう》が燃え出る。そうして花の散り終わるまでにはもう大きな葉がいっぱいに密集してしまう。
 桜でも染井吉野《そめいよしの》のように花が咲いてしまってから葉の出るような種類が開花のさきがけをして、牡丹桜《ぼたんざくら》のような葉といっしょに花をもつようなのが、少しおくれて咲くところを見ると、これには何か共通な植物生理的な理由があるらしい。
 人間でもなんだか、これに似た二種類があるような気がするが、何が「花」で何が「葉」だかが自分にはまだはっきりわからない。
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   学会


 いろいろの学会にはいっている。すすんで入会したのもあり、いつのまにか入れられていたのもあり、また強いてはいらされたのもある。数にしたら二十近い会の会員になっている。
 学会にはそれぞれ例会や総会がある。それに一々出席していたらきりがないからたいてい出ないことにしている。
 どうも日本人はいろいろな会をこしらえることの好きな国民ではないかという気がする。
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   琴


 学生時代には本郷へんの屋敷町を歩いているとあちらこちらの垣根の中や植え込みの奥から琴の音がもれ聞こえて、文金高島田《ぶんきんたかしまだ》でなくば桃割れ銀杏返《いちょうがえ》しの美人を想像させたものであるが、昨今そういう山の手の住宅区域を歩いてみても琴の音を聞くことはほとんど皆無と言ってもいいくらいである。そのかわりにピアノの音のする家が多くなったが弾いている曲はたいてい初歩の練習曲ばかりである。まっ黒な腕と足を露出したおかっぱのお嬢さんでない弾き手を連想するのは骨が折れるようである。
 たまにいい琴の音がすると思ってよく聞くとそれはラジオである。
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   漫画


 新聞の日曜附録の一ページに大掃除を題材にした漫画がいろいろ出ている中に岡本一平《おかもといっぺい》氏のがある。おかっぱ洋装の孫娘がお祖母《ばあ》さんとバタ入れとにほこりがかからないようにと大きな鶏籠のようなものをすっぽりかぶせておいたのをおかあさんが見つけて驚いて籠を引き起こしている図である。おばあさんはおとなしくバタ入れといっしょに小さくなって籠の下に収まって何かむしゃむしゃ食べている。孫娘のほうは平気にほがらかにあちらを向いてはたきをふるっているのである。
 ほかにも数々の漫画があるが、どうもただ表面だけふざけていて中味の何もないのが多いようである。一平氏のには、多くの場合にそうであるように、おかしみの底に人情味が流れていて噛みしめるとあわれがにじみ出す。この漫画なども、現代の家庭における老祖母と主婦と孫娘との三角関係を心理的に描写し尽くして余すところがないような気がする。その真実性の中からおかしみも美しさもあわれも生まれてくるのであろう。
 ただ一枚の漫画でもこういうのを朝食時に見ると、その日一日ぐらいは自分の心情の上に何かしらよい効果を残すように思われる。
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   笑い声


 初夏のある日友人と京橋近くの七階楼上で昼飯を食った。すがすがしい好晴の日で食卓から見下ろす銀座方面のながめははればれと明るくいきいきと美しいものであった。一隅の別室からにぎやかな爆笑が間歇的《かんけつてき》に聞こえて来る。その笑声から判断すると、どうしても女学校の生徒の集会らしい。食卓を囲む制服を着たおさげやおかっぱの一団を想像させた。
 席を立って帰りがけに開け放したその別室をのぞいて見ると、意外にもそれは「制服の処女」たちではなくて、みんなもう三十前後の立派な奥さんたちの集会であった。
 奥さんたちの笑い方と女学生の笑い方とはたしかに区別があるはずである。それだのに別室で聞いた笑声はどうしても十五、六、七、八の女生徒の集団にのみ聞かれる笑声であった。
 やはりどこかの女学校の第何回卒業同窓会であろうと思われた。同窓の顔が寄り合った機会に彼女たちの十余年昔の笑いが復活したのではないかと思われて、なんとなくほほえましい気持ちのしたのはあながち青葉時の好晴の天気のせいでもなかったようである。
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   講演の口調


 ラジオなどで聞くえらい官吏《かんり》などの講演の口調は一般に妙に親しみのないしかつめらしい切り口上が多くてその内容も一応は立派であるがどうも聴衆の胸にいきなり飛び込んで来るようなものが少ない。
 ある会議の席上である長官がある報告をするのを聞いていたとき、ふと前述の講演のタイプを想い出した。
 長官はその属僚の調べ上げてこしらえた報告書を自分のものにして報告しな
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