々として風になびいていた。その一方で銀杏《いちょう》はもうすっかりその黄葉をふるい落としているのであった。
十月には武蔵野のどこかで桜が返り咲きに満開したそうである。十一月二十五日になってもまだ庭のカンナが咲き続けていた。
植物でも季節の変調にだまされやすいのとそうでないのとあるらしい。
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夏目先生のお弟子《でし》と見られている人がかなりおおぜいいるようである。この「お弟子」の意味がずいぶん漠然としていて自分にはよくわからない。少し厳密に分類するとこの「お弟子」の種類が相当たくさんにありそうである。古いほうでは松山の中学校で先生から英語を教わった人たちがある。その中でそれっきりもう直接には先生と交渉を失った人々もやはり弟子の一種である。またそうした人たちの中で後になって再び先生と密接な交渉をもつようになった人の中でもMN君のようにあらゆる意味で師事した人もあれば、またMB氏のように医師として接触した人もある。それからまた熊本高等学校時代に英語を教わった人々、その中で自分などのように俳句をも教わったために先生の私邸に出入することのできた果報ものもある。もしかすると逆に出入するために俳句を教わったのではないかという嫌疑《けんぎ》もなくはない。また先生の家に食客となって日常親しく先生の人に接近することのできた幸運の人たちもある。次には先生の東京時代に一高《いちこう》や大学で英語英文学を教わった広い意味での弟子たちがある。その中で先生の千駄木町《せんだぎちょう》時代にその門に出入した人たちがある。一方では英文学科以外の学生でそのころの先生の門下に参じた人もあるかと思われる。
千駄木時代は先生の有名になり始めからだいたい有名になりきるまでの時代で、作品から言っても「猫」から「虞美人草《ぐびじんそう》」へかけての時代である。このころの先生にひきつけられて先生の膝下《しっか》に慕い寄ったお弟子にはやはりそれだけの特徴がありはしないかと思われる。短い西片町《にしかたまち》時代を経て最後の早稲田時代になると、もう文豪としての位地の確定した時代で、作品も前とはだいぶちがった調子のものになってしまっていた。この時代に新たに門下に参じた人々の中には千駄木時代の先生の要素に傾倒した人とまたこの時代の先生の新しい要素に牽引《けんいん》された人とがあって、それぞれちがった特色をもっているのではないかと想像される。しかし具体的の分類をしろと言われるとやはりむつかしい。
それはとにかく先生の芸術なりまたその芸術の父なる先生の人に吸引されてしばしばその門に出入した人々を「お弟子」と名づけることになっているようである。しかしこの上記の定義は実ははなはだ不完全であるかと思われる。たとえば故○○君のごとく先生に傾倒して毎週ほとんど欠かさず出入りして、そうして先生の揮毫《きごう》を見守っていた人が、やはり普通の意味でお弟子と言われるかどうか疑問である。そのほかにも始終先生に接していながら先生からどれだけの精神的影響を受けたかということがわかりにくい人もあるかもしれない。反対に先生に接しないでただその作品だけから異常に強い影響を受けている人もたくさんあるかもしれない。こうなると何がお弟子で何がお弟子でないかわからなくなってしまう。
しかし、どんな人でも先生に接して後のその人を見て、もし先生に接しなかったとした場合のその人を推察することは不可能であるから、先生の影響が無いなどとは言われないわけである。してみると結局「お弟子」の定義には証明の可能な「門戸出入」の頻度《ひんど》を標準とするのが唯一の「実証的」な根拠なのであろう。
もし何かの訴訟事件でも起こって甲某が先生の弟子であったか、なかったかという事が問題になったとしたら――そんなことがありうるかどうかは知らないが――その時にはやはりこの「実証」以外に何物も物を言わないであろうと思う。
お弟子の名もはかないものである。
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震災や火災や風水害に関する科学的常識とこれに対する平生の心得といったようなものを小学校の教科書に入れるということは、日本のような国では実に必要なことである。これはほとんど「問題にならぬ」ほど明白なことであると思われるのに、これがどういうわけだかいっこうに実行されていないで時々「問題になる」ようである。
自分の想像するところでは、結局教科書を編纂《へんさん》する機関の中に科学的な頭脳とその主動的な要素が欠除しているのではないかと思われる。もしかこの想像がいくぶんでも当たっているとしたら、はなはだ逆説的な言い分ではあるが、小学生を教える前にまず文部省を教育しなければならないのだとも言われるかもしれない。
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