はないかもしれない。うその中の真実が真実の真実よりもより多く真実なのかもしれないからである。[#地から1字上げ](昭和九年十月、渋柿)
[#改ページ]
曙町より(二十二)
越後のある小都会の未知の人から色紙《しきし》だったか絹地だったか送って来て、何かその人の家のあるめでたい機会を記念するために張り交ぜを作るから何か揮毫《きごう》して送れ、という注文を受けたことがあった。ただし、急ぐからおよそ何日ごろまでに届くように、という細かい克明な注意まで書き添えてあった。
そのままにして忘れていたらやがて催促状が来て、もし「いやならいやでよろしく」それなら送った品を返送せよというのであった。それでびっくりしてさっそく返送の手続きをとったことであった。
それから数年たった近ごろ、また同じ人からはがき大の色紙を二、三枚よこして、これに何か書いてよこせ、「大切に保存するから」と言って来た。
ちょっと日本人ばなれがしている。アメリカのウォール街あたりの人のように実にきびきびと物事をビジネス的に処理する人らしく思われる。
ただ、こういう気質の人のもつ世界と自分らの考えている俳句の世界とがどういうふうにつながり、どういうぐあいに重なり合っているかという事がちょっと不思議に思われたのであった。
今度は催促されないように折り返し色紙を返送した。[#地から1字上げ](昭和九年十二月、渋柿)
[#改ページ]
曙町より(二十三)
安倍能成《あべよししげ》君が「京城《けいじょう》より」の中で「人柱《ひとばしら》」ということが西洋にもあったかどうかという疑問を出したことがあった。近ごろルキウス・アンネウス・フロルスの「ローマ史摘要」を見ていたら、ロムルスがその新都市に胸壁を築いたとき、彼と双生児のレームスが「こんなけちな壁なんかなんにもならない」と言ってひととびに飛び越して見せた。そのために結局レームスは殺されたのであるが、しかしロムルスの命令によって殺されたかどうかは不明だとある。そうして「いずれにしてもレームスは最初の犠牲《ヴィクティマ》であって、しかして彼の血をもって新市の堡塁を浄化した」とある。
この話は人柱とは少しちがうが、しかしどこかしらだいぶ似たところがある。
豚や牛のように人間を殺して生贄《いけにえ》とすることは西洋には昔はよくあったらしいが、
前へ
次へ
全80ページ中48ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング