1[#「1」は小書き]Y1[#「1」は小書き]X2[#「2」は小書き]Y2[#「2」は小書き]X3[#「3」は小書き]Y3[#「3」は小書き]……によって組み立てられた多次元の世界であるとも言われる。
 それは、三次元の世界に住するわれらの思惟《しい》を超越した複雑な世界である。
「独吟」というものの成効《せいこう》し難いゆえんはこれで理解されるように思う。
 また「連句」の妙趣がわれわれの「言葉」で現わされ難いゆえんもここにある。[#地から1字上げ](昭和二年五月、渋柿)
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 ラジオの放送のおかげで、始めて安来節《やすぎぶし》や八木節《やぎぶし》などというものを聞く機会を得た。
 にぎやかな中に暗い絶望的な悲しみを含んだものである。
 自分は、なんとなく、霜夜の街頭のカンテラの灯《ひ》を聯想《れんそう》する。
 しかし、なんと言っても、これらの民謡は、日本の土の底から聞こえて来るわれわれの祖先の声である。
 謡《うた》う人の姿を見ないで、拡声器の中から響く声だけを聞く事によって、そういう感じがかえって切実になるようである。
 われわれは、結局やはり、ベートーヴェンやドビュッシーを抛棄《ほうき》して、もう一度この祖先の声から出直さなければならないではないかという気がするのである。[#地から1字上げ](昭和二年七月、渋柿)
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「聊斎志異《りょうさいしい》」の中には、到るところに狐の化けたと称する女性が現われて来る。しかし、多くの場合に、それはみずから狐であると告白するだけで、ついに狐の姿を現わさずにすむのが多い。
 ただその行為のどこかに超自然的な点があっても、それは智恵のたけた美女に打ち込んでいる愚かな善良な男の目を通して、そう見えたのだ、と解釈してしまえば、おのずから理解される場合がはなはだ多い。
 それにもかかわらず、この書に現われたシナ民族には、立派にいわゆる「狐」なる超自然的なものが存在していて、おそらく今もなお存在しているにちがいない。
 これはある意味でうらやむべき事でなければならない。
 少なくも、そうでなかったとしたら、この書物の中の美しいものは大半消えてしまうのである。[#地から1字上げ](昭和二年九月、渋柿)
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 糸瓜《へちま》をつくってみ
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