じて窺《うかが》っていた「昔の西洋」が吾々の眼前に活きて進行することである。「駅逓馬車《ポストクツチエ》」による永い旅路の門出の場面などでも、こうした映画の中で見ていると、いつの間にか見ている自分が百年前のワルシャウの人になってしまう。そうして今までに読んだ物語や伝記の中の色々の類似の場面などが甦って眼前に活動するような気がする。そういう意味でジョルジュ・サンドやデューマやバルザックなどの出て来る社交場の光景なども面白い。たとえその描写がどんなに史実的に間違っていても、それが上記のような幻想を起しさえすればそれでこの映画は成効しているであろう。
この映画にはうるさいところやしつっこいところがなくてよい。やはり俳諧のわかるフランス人の作品である。
四 紅雀
年を取った独身の兄と妹が孤児院の女の児を引取って育てる。その娘が大きくなって恋をする、といったような甘い通俗的な人情映画であるが、しかし映画的の取扱いがわりにさらさらとして見ていて気持のいい、何かしら美しい健全なものを観客の胸に吹き込むところがある。一体こうした種類の映画はもっともっと多く作られてよいものであろうと
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