るのではないかと想像していた。ところが十三回十四回頃からロスの身体の構えに何となく緩みが見え、そうして二人が腕と腕を搦《から》み合っているときにどうもロスの方が相手に凭《もた》れかかっていたがるような気配が感ぜられたので、これは少しどうもロスの方が弱ったのではないかと思って見ていた。
最後にデンプシーの審判で勝負が決まった時|介添《かいぞえ》に助けられて場の中央に出て片手を高く差上げ見物の喝采に答えた時、何だか介添人の力でやっと体と腕を支えているような気がした。これに反してマックの方は判定を聞くと同時にぽんと一つ蜻蛉返《とんぼがえ》りをして自分の隅へ帰ったようであった。つまりそれだけの体力の余裕を見せたかったのではないかと思われる。それで自分にはどうもロスの勝利というのが呑込めなかったが、テクニックを知らないからだろうと思っていた。後で物言いがあったということをプログラムで読んでやっぱりそうかと思った。
三 別れの曲
ショパンがパリのサロンに集まった名流の前で初演奏をしようとする直前に、祖国革命戦突発の飛報を受取る。そうして激昂する心を抑えてピアノの前に坐り所定曲目
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