映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1−13−25])
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)この映画の頂点《やま》は

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](昭和十年七月『映画と演芸』)
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      一 永遠の緑

 この英国製映画を同類の米国製レビュー映画と比べると一体の感じが随分ちがっている。後者の尖鋭なスマートな刺戟の代りに前者にはどこかやはり古典的な上品な滋味があるような気がする。
 この映画の頂点《やま》はヒロインが舞台で衣裳をかなぐり捨てブロンドのかつらを叩きつけて煩わしい虚偽の世界から自由な真実の天地に躍《おど》り出す場面であって、その前のすべてのストーリーはこの頂点へ導くための設計であるように見える。一九〇九年型の女優が一九三四年式のぴちぴちした近代娘に蝉脱《せんだつ》した瞬間のスリルがおそらくこの作者の一番の狙いどころではないかと思われる。その後の余波となるべき裁判所の場面もちょっと面白い。証拠物件に蝋管《ろうかん》蓄音機が持出されたのに対して検事が違法だと咎めると、弁護士がすぐ「前例」を持出すのや、裁判長のロードの少々勘の悪いところなどが如何にもイギリスらしくて、いつものアメリカの裁判所の場面と変った空気を出しているようである。
 どこにもあくどいところやうるさいところがなくて上へ上へと盛り上がって行くような全篇の構成を観賞しつつ享楽することが出来るようである。

      二 家なき児

 これもなかなか美しい映画であるが、前の「永遠の緑」などとはまた種類のちがった見どころを持っているようである。非常に面白いお伽噺《とぎばなし》の話の節が、手際よくきびきびと運ばれて行く、そのテンポの緩急が宜しきを得ている。色々の美しいタチングな場面が丁度そのお伽噺の挿画のように順々にめくられて行く、そうした美しい挿画が数え切れないほど沢山あるのである。例えば家なき児レミがミリガン夫人に別れを告げて船を下りてから、ヴイタリス老人とちょっと顔を見合せて、そうしてあてのない旅路をふみ出すところなどでも、何でもないようで細かい情趣がにじんでいる。永い旅路と季節の推移を示す短いシーンの系列など、まさに挿画を順々にめくって行く気持である。コローの絵を想い出させるようなフランスの田舎の幻像がスクリーンの上を流れて行く、老人と子供が雪夜の石段を下りて来る図や、密航船の荷倉で人参をかじる図なども純粋に挿画的である。

      三 管弦楽映画

 ベルリンフィルハルモニーにおける「地獄のオルフォイス」と「カルメン」の演奏を写したものであったが、これを見ながら聴きながら考えたことは、自分がベルリンへ行って実地に臨むよりもこうした映画で鑑賞する方が十倍も百倍も面白いのではないかということであった。第一、実地ではこんなに演奏者を八方から色々の距離と角度で眺めることは不可能であるが、そればかりでなく映画のカメラは吾らの眼の案内をして複雑な管弦楽の編成《オーケストレーション》の内容を要領よく解明してくれる。曲の各部をリードしている楽器を時々に抽出してその方に吾々の注意を向けてくれる。例えばファゴットの管の上端の楕円形が大きく写ると同時にこの木管楽器のメロディーが忽然として他の音の波の上に抜け出て響いて来るのである。こういうことは作曲者かあるいは指揮者を同伴して演奏会へ行っても容易に得られない無言の解説である。カルメンの中の独唱でも、管弦楽の進行の波頭が指揮者のふりかざした両腕から落ちかかるように独奏者のクローズアップに推移して同時にその歌を呼出すといったような呼吸の面白さは、実地では却って容易に味わわれないものである。こういう意味では音楽自身よりもこうした音楽映画は数等複雑多様なディメンションをもった芸術であると思われる。

      四 その夜の真心

 前説と同様な意味で、この映画はたとえ何十回競馬を見物に行っても味わうことの六《むつ》かしいと思われる競馬というスポーツの最高度のスリルを味わわせる映画で、すべての物語の筋道などは、ただこのクライマックスの競馬の場面の鋭いスリルを鋭くするために細かく仕組まれた足場として見ることも出来る。実際の競馬ではああした番狂わせにはめったに出くわせないであろうし、また観客はカメラのようにあんなに勝手に位置を変えて自由に見どころを得られるはずはないのである。これだけでも映画というものの独特な使命が明白に指示されているように思う。

      五 すみれ娘

 日本の近代映画でも、PCLの提供するものの中には色々な点で有望な進歩の動向を示しているものがあるように思う。この「すみれ娘」などもその一例である。あくどい蒼蠅
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