いたようである。
 ルネ・クレールでもデュヴィヴィエでも配役の選択が上手《じょうず》である。いくらはやりっ子のプレジアンでも、相手がいつも同じ相手役では、結局同じ穴のまわりをぐるぐる回ることになるであろう。
 このあいだ見た蒲田《かまた》映画「その夜の女」などでも日本映画としては相当進歩したものではあろうが、しかし配役があまりに定石的で、あまりに板につき過ぎているためにかえってなんとなくステールな糠味噌《ぬかみそ》のようなにおいがして、せっかくのネオ・リアリズムの「ネオ」がきかなくなるように感ぜられた。これは日本映画の将来の改善のために根本的な問題を提供するものだと思われる。

     二 実写映画に関する希望

 せんだって「北進日本」という実写映画を見た。いろいろな点でなかなかよくできているおもしろい映画であると思われた。ただ一つはなはだしく不満に思われたのは、せっかくの実写に対する説明の言葉が妙に気取り過ぎていて、自分らのような観客にとっていちばん肝心の現実的な解説が省かれていることであった。たとえば場面が一転して、海上から見た島山の美しい景色が映写された瞬間にわれわれの頭には
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